
こんなにも時を忘れ、時を越えて学べることがあるのだろうか。
いや有る訳がない、ありえない。
そんなことを五年前は言わない。
言えるわけもない。
この年齢になって(とっくに50を越えて)自分が変化していくのだ。
その師匠に習うと、自然と素直になり、変化し成長するのだ。
人の成長を素直に喜び、そのときの精一杯をみて、勝手に体が反応し、なみだが溢れる。
いままでにないくらい、六時間の稽古に没頭した。
きっと、米沢に行ってから、そして、房仙会の仲間の投稿の変化を感じ、そのおもいに反応する自分がいたから。
鳩居堂の書道展が、今年は更に銀座をあつくする。
そう感じたら、何年もいるならば、力を尽くさなくては後悔する。
お金では買えないものがそこには、確実に存在する。
たまらなく、いとおしい。
人生を何に使うかと言われたら、1つは、房仙会に使うのだ。
理由はシンプルに愛してやまないから。