狗邪韓国ってどこの国?

テーマ:

魏志倭人伝には女王・卑弥呼の国を始めとして、30ばかりの国が順次紹介されています。その中でも、ひときわ異彩を放っている国があります。それが国名の下に韓国の付いた狗邪(クヤ又はコヤ)韓国です。早速、調べてみることにいたしましょう。

 郡(帯方郡~ソウル付近)より倭に至るには、海岸に循(したが)いて水行し、韓国を歴(ふ)るに、乍(たちま)ち南し、乍ち東し、其(そ)の北岸、狗邪韓国に到る、七千余里。始めて一海を度る、千余里、対海国(たいかいこく~対馬)に至る。

これによると狗邪韓国は「其の北岸にある」とされています。つまり、これは倭人伝において倭国への行程を説明している中での「其の」ですから、その対象は当然、倭国に決まり切っています。

 

従って、狗邪韓国は疑いなく倭国に属する国です。卑弥呼の時代、倭国は朝鮮海峡を狭間にした海峡国家だったということです。それは証明できるのでしょうか。

それでも「狗邪韓国は倭地にあらず」と主張するインチキ学者も存在していますが、もしも倭地が対馬からだとすれば、狗邪韓国に対して「其の北岸」という表現は決して使えないですね。

仮にもですよ。倭地が対馬までであったとすれば、およそ次のような等式は成立しないことになりますからね。

郡(帯方郡)より女王国に至る万二千余里。(魏志倭人伝)

帯方郡から狗邪韓国までの7000余里 + 狗邪韓国から女王の都までの5000余里= 総行程12000余里。

なぜなら、「始めて一海を度る、千余里」の狗邪韓国から対海国(たいかいこく~対馬)までの1000余里がカットされるので、「狗邪韓国から女王の都までの5000余里」が4000余里となるからですね。

 

また、狗邪韓国が倭地であることの証明は、倭人伝の直前に出てくる韓伝にもあります。

 韓は帯方の南に在り、東西は海を以って限りと為し、南は倭と接す。方四千里可(ばか)り。〈中略〉その瀆盧国(とくろこく)は、倭と界(さかい)を接す。(『三国志』・韓伝)

 

この韓国は、ほぼ正方形と見られ、「方四千里」の「方」とはその正方形の一辺という意味です。そしてその南辺は倭国と接しているということです。また同時に、この韓国内の瀆盧国も倭と境を接しているということですね。

 

海上で国境を接しているという概念は、昔も今もありません。従って狗邪韓国の北辺は短里(一里=約77㍍)で4000里ですから、延々300㎞を超える狗邪韓国と韓国との国境が存在するということになります。ということは南北の幅を少なく見積もっても相当な面積が想定されるようですね。

 

では狗邪韓国という国名には、どういう意味が含まれているのでしょうか。これを普通に考えれば、「韓国に接している狗邪の地」ということになりますね。そして「狗邪」は、恐らく「伽耶(かや)・駕洛(からく)・加羅(から)」などと呼ばれていた地に中国的な卑字を当てたものと考えられます。

 

しかし「韓国に接している狗邪の地」という解釈は本当にこれでよいのでしょうか。自分自身でそのように言っておきながらも、今ひとつ釈然としないものを感じるのです。

なぜかと言いますと、狗邪韓国とは、「かつては朝鮮半島の南半部全体が韓(加羅の中国的表現)という地域名であった。その中に今は、加羅の名残をとどめた狗邪(伽耶・加羅)という国がある」とも解釈できるからです。さて、いかがなものでしょうか。(^-^)

さてここまで来て、一つ大切なことを忘れていたことに気づきました。それは「其の北岸」に関することです。仮にも倭国の中心部が近畿大和であれば、狗邪韓国の位置が「其の北岸」には絶対にならないですね。だいたい、近畿大和の北岸など全く存在しませんからね。(^_^)