こんにちは、menaです。
肌寒くなってきた東京は
コロナの感染者も落ち着くことはなく
そんな状況に正直もう慣れてしまった自分がいます。
淡々と毎日自宅で勤務し
週末を迎える日々です。ちょっと退屈。
久しぶりの更新ですが、
ちょっと重めな話をしたいと思います。
日本でも報道された通り、
11月2日の夜ウィーンの中心部でテロが発生しました。
ニュースを知ったのは朝起きて
彼や友人からの安否の連絡を見て何のことかわからず
何だろう・・?と調べてからでした。
襲撃された現場は、彼の自宅や実家から徒歩10分の場所。
私もよく知る場所だったので一瞬で鳥肌が立ちました。
幸いにも私の周りでは被害に遭った人はいませんでしたが、
あまりにも身近に感じられ
亡くなられた方のご冥福を祈るばかりです。
襲撃の夜、彼の自宅周辺ではパトカーのサイレンやヘリコプターの音が鳴り止まなくて不安な夜を明かしたようです。
もし私が逆の立場なら、恐怖でパニックになり彼に電話しまくっていたと思いますが、彼は冷静に状況の説明と安否をメッセージ。とにかく私にパニックにならないでほしいと念押ししてきてました。
翌日彼とFaceTimeで顔を見たときは
安堵と不安と恐怖となんだかよく分からない気持ちが爆発してお互い号泣してしまいました。
それにしても
オーストリア政府とウィーン警察の動きは見事なものでした。
動画などSNSにあげないようにアナウンスしたり
市民が混乱に陥らないように的確な情報を発信していました。
市民もテロの調査に協力的な印象を受けました。
テロ翌日にはメンタルケアのホットラインも開設され、さすがだなと思いました。
日本だったらこのスピード感でできるか疑問ですが
おそらくオーストリア・ウィーンの小回り感の良さが表れているのかなと。
実は襲撃を受けて亡くなられた女性の隣に
彼の幼馴染であるシェフ(私もよく知っている)がちょうど座っていたそうで、そのシェフの彼はなんとか一瞬の隙をみて逃げることができたとのこと。
血まみれな状況と命がかかった悲惨な状況は、彼のトラウマとなりしばらくお店を休むそうです。(これは彼のレストランではありません。)
隣にいた人が撃たれる・・
そんな状況考えられない。悲惨すぎて想像もつかない。
彼はそのシェフと金曜に会い、話をしに行ったようですが彼もさらにショックを受けていて、悲痛な表情で涙をさらに流していました。
生きていて本当によかった。
出来ることなら、隣で寄り添ってあげたい。
こんなとき、愛する大切な人の側にいてあげられないもどかしさで発狂しそう。
ロックダウンで精神的にも負荷がかかる中で
私は画面越しの存在。
彼に精一杯寄り添い、灯台のような存在であるように意識し言葉がけをしていましたが、果たしてそれでいいのかはわかりません。
せめて彼にさらなる心配をかけないように、自分のことは自分でしっかり面倒を見ることを特に今は意識しています。
私も彼らと同様に火曜から木曜まで一緒に喪に服しました。
日本では、LINEのトップニュースで出たりニュースで報道されたりしましたが、それでもウィーンでテロが起きたことも印象が薄い人がいて、複雑な気持ちになりました。
もしかしてこのテロがもっと馴染みの薄い国で起きていたなら、私もここまで考えることはなかったかもしれないというのが正直なところです。
被害に遭われた方やその場所に住んでいる方
その方々には必ず愛する人や家族がいることを忘れてはならないな、と思います。
そして、今回のテロを受けて
今の世界の異常さ(特に日本)を再認識したことが。
仮に私が東京で何かの事故に遭って最悪死んでしまった場合、彼は私の死に目に立ち会うことはできないのです。
なぜならまだ家族じゃないから。法的な関係じゃないから。
こんなことってあっていいのでしょうか。
経済はもちろん大事です。
ビジネスは優先されるのに、PCR検査や隔離もきちんと守るパートナーはなぜ入国を認められないのでしょうか。
おかしな話だな、とつくづく思います。
あと、
「彼氏」という響き
日本では何だか認められない雰囲気ってありませんか。
私の彼は彼氏ではあるけど、
それよりパートナーと呼ぶ方がしっくりきます。
事実婚や同性婚への風当たりがまだ強い日本だからこそ
法的な関係ではない人たちへの風当たりもまだ強いのかなと思います。
もっと人々の形が自由で、認められうる穏やかな世間であればいいのに。
と、久しぶりの更新にも関わらず
まとまらない文章ですがここまでの長文お読みくださりありがとうございます。
まずは今お互い安全に生活できていることに感謝して。
会える日まで頑張ります。
mena