てんざえもんの哀しき告白 -32ページ目
ボクは、人からわがままだと言われることがある。多分、一人っ子のせいもあって、わがままをつらぬきたいときがあるのだろう。

きょうは、わがままをつらぬかせてもらった気がする。だが、わがままをつらぬいたあとに残るものは、反省である。

あすからは、また、質素に身構えようと思う。
儒学の生ならば、人欲を抑えなくてはと思う。



最近のボクの哲学探求は、儒学思想だが、…食欲には勝てん。楽しみはなんといってもたべること。きょうは、カツカレーとずんだ大福がうまかった。

しかし、儒教の聖人達は、毎日何を考えて生きてきたのだろう。毎日徳について考えていたのだろうか。ストレスはたまらなかったのだろうか。なんか儒教に生きるのって疲れたりしないのか。
俺は人間だ。腹が減ったら儒教どころではない。スイーツだって我慢できない。儒教の探求だって精神が安定していなくては上手く行かない。
あ~人生って、時々疲れる。








儒教における礼とは何か、思うに、対象に対するけじめを意味するのでなかろうか。
さて、孟子の四端の端の字を端緒と解釈する学者がいるが、ボクは、文脈上、本(もと)と解釈する。すなわち、惻隠は仁のもとと読む。その方が、仁の性格を表していると思うからである。漢語辞典を引くと、端には、本の意味もある。ちなみに、漢語林も本と解釈している。
ほんと漢語は字義が色々あって解釈に苦労する。



前回俺はブログをもう止めると宣言したが、ただ言いたいことだけ言ってやろうという気になったので、再開することにした。