前妻の基地外じみた言動篇 その1「母に対する暴言と孫に会わせない強硬策」 | 私が不倫をした理由

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ヒステリックなモラハラ妻との、まるで地獄のような20年間の結婚生活から離婚までの記録を綴っています。

 連載記事となっています。

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 長男が誕生した時の話です。

 切迫流産で長期入院したり、心拍低下による緊急出産など、長男が生まれるまでには幾つもの困難があった為、無事に誕生した時は、とても両親も喜びましたし、赤ちゃんを大歓迎しました。

 

 

 

 当時住んでいたアパートは、実家から徒歩一分の近距離にありました。

 会おうと思えば、いつ何時でも会える距離に住んでいたわけです。

 

 

 

 両親にとっては初孫です。

 会いたくて会いたくて震える程、会いたかったのです。

 しかし前妻の性格の気難しさを知っていた母は、前妻の許可無く会いに行く事は決してしませんでした。

 それで母は遠慮がちに前妻にこう尋ねました。

 

「私さ、孫に会いたいんだけどね、いつ頃行ったら良い?」

 この問いかけに対し、前妻はこう言いました。

 

「いつでも大丈夫ですよ!毎日でも来てくれても構いません」

 

 母は、相手の言葉を言葉通りに受け止める、とても素直な性格をしています。

 母は前妻の勧め通り、毎日孫の顔を見に行きました。

 

 

 

「お母さんがさ、毎日〇〇の顔見に来て、鬱陶しいんだけど!あんたどうにかしてよ!」※〇〇は長男の名前。

 

「母ちゃんだって、そりゃ孫の顔見たいだろうよ。我慢しろよ!大体毎日来て下さいって言ったのは、お前だろうが」

 

「ほんとに毎日来られると、家の事が何も出来ないんだけど!」

 

「俺が帰って来てから、やれなかった所はやってやるから、とにかく我慢しろよ!」

 

 とこのような会話がありました。

 しかし日毎に前妻の怒りのチャージは貯まり続け、ある日遂に爆発します。

 

 

 

「お母さんはもう、うちに来ないで下さい!」

 

※写真はイメージです。前妻ではありません。

 

 目いっぱい憎々し気な表情を浮かべ、前妻は母にこう怒鳴ったそうです。

 

「毎日来てくださいって言ったから、私も良いのかなって思ってさ、毎日行ったんだよ。だったらさ、週に二、三回来てくださいとか言えば良かったんじゃないの?」 

 泣きながら、母が私にこう愚痴ったのを記憶しています。

 

「あいつさ、頭おかしいからさ、とにかく母ちゃんの方が年上なんだしさ、多めに見てやってよ」

 当時すでに私は、前妻を言葉でも暴力でも矯正出来ない事を悟っていました。

 それで、前妻を強制するのを諦め、母に折れてくれと頼みました。

 

 

 

 この後、当時私は知らなかったのですが、前妻は母に孫と会わせないという強硬策を取りました

 母が孫に会えるのは、私がいる時に限定されました。

 

 

 

 ほんの一分ほど歩けば会える距離に、孫がいるのに会えない辛さ。

 この時の前妻の鬼のような処置と、孫に会えない辛さを、未だに母は私に愚痴をこぼします。

 

 

 

 この孫に会わせないという強硬策は、実にアパートに住んでいる数年の間続き、その後は別の市に引っ越してしまった為、母が孫に会えるのは年に一度となってしまいました。

 

 

 

 そして離婚した今では、その正月の年に一度の面会さえも無くなってしまいました。(今後シリーズ記事でも記しますが、私は離婚の話し合いの際に、母に孫を会わせてやってくれと何度も頭を下げましたが、全て却下されました)

 

 

 

「俺じゃ、孫の代わりにはならんけれどもさ」

 私はそう言って、今はなるべく母に電話をかけたり、会いに行ったりしています。

 前妻と結婚していた当時は、ただ話しているだけでマザコン呼ばわりされましたから、鬱陶しかった私は、母と話すのは正月だけ。年にたったの一回だけでした。

 

 

 

 夫の愛、そして子供の愛を独り占めしようとした前妻。

 自分を愛するべき存在が、他者に愛を傾ける事を全力で阻止しようとした結果が、私をマザコン呼ばわりしたり、孫に一切会わせないという強硬策だったのだと思います。

 恐るべき、自己愛性人格障害者の狂気をはらんだ行動だと思います。

 

 

 

 来週は猫ちゃんと母と私の三人で、お花見をする予定です。(父はショートステイ中で家にいないのです)

 思えば母には、とても辛い思いをさせました。

 罪滅ぼしではありませんが、母が喜ぶ事をしたいなといつも思っています。