連載記事となっています。
過去記事は、↓の目次から全てお読みになる事が出来ます。
レッツ・クリック♪→目次
長男が誕生した時の話です。
切迫流産で長期入院したり、心拍低下による緊急出産など、長男が生まれるまでには幾つもの困難があった為、無事に誕生した時は、とても両親も喜びましたし、赤ちゃんを大歓迎しました。
当時住んでいたアパートは、実家から徒歩一分の近距離にありました。
会おうと思えば、いつ何時でも会える距離に住んでいたわけです。
両親にとっては初孫です。
会いたくて会いたくて震える程、会いたかったのです。
しかし前妻の性格の気難しさを知っていた母は、前妻の許可無く会いに行く事は決してしませんでした。
それで母は遠慮がちに前妻にこう尋ねました。
「私さ、孫に会いたいんだけどね、いつ頃行ったら良い?」
この問いかけに対し、前妻はこう言いました。
「いつでも大丈夫ですよ!毎日でも来てくれても構いません」
母は、相手の言葉を言葉通りに受け止める、とても素直な性格をしています。
母は前妻の勧め通り、毎日孫の顔を見に行きました。
「お母さんがさ、毎日〇〇の顔見に来て、鬱陶しいんだけど!あんたどうにかしてよ!」※〇〇は長男の名前。
「母ちゃんだって、そりゃ孫の顔見たいだろうよ。我慢しろよ!大体毎日来て下さいって言ったのは、お前だろうが」
「ほんとに毎日来られると、家の事が何も出来ないんだけど!」
「俺が帰って来てから、やれなかった所はやってやるから、とにかく我慢しろよ!」
とこのような会話がありました。
しかし日毎に前妻の怒りのチャージは貯まり続け、ある日遂に爆発します。
「お母さんはもう、うちに来ないで下さい!」
※写真はイメージです。前妻ではありません。
目いっぱい憎々し気な表情を浮かべ、前妻は母にこう怒鳴ったそうです。
「毎日来てくださいって言ったから、私も良いのかなって思ってさ、毎日行ったんだよ。だったらさ、週に二、三回来てくださいとか言えば良かったんじゃないの?」
泣きながら、母が私にこう愚痴ったのを記憶しています。
「あいつさ、頭おかしいからさ、とにかく母ちゃんの方が年上なんだしさ、多めに見てやってよ」
当時すでに私は、前妻を言葉でも暴力でも矯正出来ない事を悟っていました。
それで、前妻を強制するのを諦め、母に折れてくれと頼みました。
この後、当時私は知らなかったのですが、前妻は母に孫と会わせないという強硬策を取りました。
母が孫に会えるのは、私がいる時に限定されました。
ほんの一分ほど歩けば会える距離に、孫がいるのに会えない辛さ。
この時の前妻の鬼のような処置と、孫に会えない辛さを、未だに母は私に愚痴をこぼします。
この孫に会わせないという強硬策は、実にアパートに住んでいる数年の間続き、その後は別の市に引っ越してしまった為、母が孫に会えるのは年に一度となってしまいました。
そして離婚した今では、その正月の年に一度の面会さえも無くなってしまいました。(今後シリーズ記事でも記しますが、私は離婚の話し合いの際に、母に孫を会わせてやってくれと何度も頭を下げましたが、全て却下されました)
「俺じゃ、孫の代わりにはならんけれどもさ」
私はそう言って、今はなるべく母に電話をかけたり、会いに行ったりしています。
前妻と結婚していた当時は、ただ話しているだけでマザコン呼ばわりされましたから、鬱陶しかった私は、母と話すのは正月だけ。年にたったの一回だけでした。
夫の愛、そして子供の愛を独り占めしようとした前妻。
自分を愛するべき存在が、他者に愛を傾ける事を全力で阻止しようとした結果が、私をマザコン呼ばわりしたり、孫に一切会わせないという強硬策だったのだと思います。
恐るべき、自己愛性人格障害者の狂気をはらんだ行動だと思います。
来週は猫ちゃんと母と私の三人で、お花見をする予定です。(父はショートステイ中で家にいないのです)
思えば母には、とても辛い思いをさせました。
罪滅ぼしではありませんが、母が喜ぶ事をしたいなといつも思っています。
