言葉で意思を伝えよう 3回誘いを断った人を4回目誘うべきか
鵜呑みにすると彼女がキレる3つの言葉
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1072656&media_id=77
ここで問題。
3回連続、会合に誘ったら「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」と言われたとしよう。さあ、4回目、この人を誘うか。
わが塾でもよく生徒に聞いている。
え、変な塾だな?
だって人生に大切なことは教えるのが教育者でしょう。
引用のミクシイ記事では、要約すると「女性の言葉をうのみにせず、心の中を察してあげよう」というものである。
私は反対である。
価値観・考え方が多様化する中、「言葉」によって伝えるということを心がけるべきである。
「好きな時にも女性からは誘いにくいので、態度から察して男性から誘うべきだ」
などと言う人がいるが、それによって、間違った察し方をして、ストーカーになったりする奴が出る。
ただの友達のつもりで部屋にあげたら、肉体関係を求めて押し倒してくる奴が出てくる。
たまたま髪の毛をかきなでたら、「あ、オレを挑発している」などと勘違いする奴が出てくる。
真鍋かをりさんの言葉を借りれば「迷惑なポジティブシンキング」の奴が出てくる。
そもそも、「好きな時にも女性からは誘いにくいので、態度から察して男性から誘うべきだ」などという発想は男女平等の世の中に似合わない。
雇用・法制度その他でばかり男女平等を主張して、恋愛は相変わらず「女性の気持ちを察して男性がリード」などというご都合主義は通用しない。
人類これからの目標は、他民族との共生、他宗教・他文化への理解である。
そこにあたって、「言わずに察する」ということは多分化には通用しない。言葉を用いて意思を伝える訓練を積んでいくべきである。
さて、冒頭の問題に戻ろう。
正しいとか間違っているというものがあるわけではないが、私は4回目も誘う。
まあ、急な話で時間がなければ、そいつは後回しにするけれど。
「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」というのは、1回や2回ならば、たまたま忙しかった・・・ということもあるけれど、3回連続と なったら、本当は興味がなく、迷惑に思っているのよ。塩浜を傷つけないように遠まわしに言っている優しさを察してあげるべき。・・・・などという女性の言 葉に影響され、一時期そういう方針に切り替えたことがある。
さて、私はかつて、「格闘大会」なるものを主催し、プロレス・柔道・空手・塩浜流新格闘道などの選手を戦わせていた。総合格闘技が流行するより前である。
3回連続誘ったけれど都合が悪かった人間がいて、第15回大会には声をかけなかった。ところが、彼は本当に「行きたいんだけれど、その日は忙しく て行けない」という状態だったのであり、しかも15回大会の日は空いていた。さらに言えば、後に彼は新日本プロレスの入門試験さえ受けたというほどの格闘 好きだった。本当に申し訳ないことをした。もちろん第16回大会には誘い、彼が初参加で初優勝。
私は決めた。
「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」という人の中には、本当に言葉の通りの人もいれば、「そんなもの全然興味がない」と言いたいところ、相手を傷つけまいとして「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」という表現を使う人がいる。
ならば、こちらはどうすべきか。
3回連続、あるいは5回連続いわれても、次回また誘う。
もう私はそういう人間だと思ってほしい。
いや、できれば、みんなにもここでこの文化を変えてほしい。
可能性がどちらもあるならば、言葉の通りに受け止めよう。
誘うことによって「また誘ってきやがったか。うざってえ」と思い不愉快になる被害が出るという問題と、誘わないことによってせっかくのチャンスを 逃す人が出るという問題があるならば、「気を使って」との美名のもと、ともかくも一応「うそ」をついた側にそのリスクを負ってもらおう。
多分、私に何回も電話かけられ、「興味ないと言ったら、傷つくと思って、遠まわしに断っているのに、また誘うのかよ、このストーカー野郎め」と思っている人も日本全国にチラホラいるだろうが、私は
1 明確に断れば誘わない
2 世のバカ企業と異なり、勝手に名簿業者から他人の情報を買ったり、無断で他人から聞いたりしてはいない。
そのかわり、私は極めて合理主義である。
「つまらねえから行かない」と言われても全く傷つかない。
私が誘ったイベントがつまらないというのは、別に私の人格を否定しているのではない。
むしろ、
「私は政治の勉強会には興味あるけれど、アイドルのイベントなんかまったく興味ない」とか
「自民党が講師なら行くが、民主党なんか行かない」と言ってもらったほうが、断然作業量が減ってありがたい。「行きたいけれど」などとくだらん気 をつかってこっちの仕事を増やすな。こっちは同じことを300人くらいに言っているのである。可能性がないものに時間をかけるのは馬鹿馬鹿しい。
さて、いきなりオタク論。
A 特定の事項に関して異様に深くのめりこみ、それに関する多くの知識や物を集める人
B 他人とのコミュニケーションが苦手で、傷つき、傷つけるのを恐れ、他と深く関わろうとしない。
C 運動不足のため、太っていて、脂ぎっていて、気持ち悪い
世のオタク批判は、「定義」と「傾向」または「性質」を混同している。
「あなたはオタクですか」「ロリコンですか」と聞かれたとき、うそはつきたくないし、むしろオタク・ロリコンに誇りに思ってはいるが、相手が「定義」と「傾向」または「性質」を混同するような人間である可能性もあるので、必ずしも即答しない。
大体、定義もあいまいなままで是非を論じるバカがメディアも含めて多いのでわが世直しの旅は終わりがなさそうだ。
仮に、上記Aをオタクと定義しよう。これは、他人から非難されるべきことではなく、むしろ、大企業の洗脳のまま、浅く広くあっちへフラフラこっちへフラフラしているより断然良いと思う。
BやCは、Aである結果としてよく見られがちの傾向に過ぎない。しかも、「見られがち」とは書いたが、実はAがBやCの性質を持っている相関性はそれほど高くないと思っている。こういったことはいずれまた書こう。
話を戻す。
Bを根拠にオタクを批判するのは定義と傾向を混同しているということが言いたいだけではない。
私からすれば、日本人全体がBの傾向を持っている。
仮にBをオタクの定義にすれば、日本人全体が、外国から見てオタクである。
行きたくもないのに、しっかりと自己主張できず、傷ついたり傷つけられたりするのを恐れ、「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」などと言う。小さな仲間で固まり、はっきり言わなくても以心伝心で通じると思っている。
「興味がないから行かない」と言えば、勝手に人格全体を批判されたとでも思い込み、怒る。
まさにオタク(B)ではないか。
私はオタクAには好感を持つが、オタクBについては変わってほしい。
いつまでも狭いところに引きこもっていられると思ったら大間違い。これから、自分と異質な者とも関わっていく世の中になる。個を確立し、言うべきことは言葉に出せ。
ということで、私は、あれこれ誘う。情報は多い方が良いではないか。私にも行くか行かないかはともかく、イベントはお知らせを。そのかわり、何度誘われても行かないかも知れない。私も断られるのは平気である。皆さんもいっしょにそういうルールに変えていこうではないか。
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ここで問題。
3回連続、会合に誘ったら「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」と言われたとしよう。さあ、4回目、この人を誘うか。
わが塾でもよく生徒に聞いている。
え、変な塾だな?
だって人生に大切なことは教えるのが教育者でしょう。
引用のミクシイ記事では、要約すると「女性の言葉をうのみにせず、心の中を察してあげよう」というものである。
私は反対である。
価値観・考え方が多様化する中、「言葉」によって伝えるということを心がけるべきである。
「好きな時にも女性からは誘いにくいので、態度から察して男性から誘うべきだ」
などと言う人がいるが、それによって、間違った察し方をして、ストーカーになったりする奴が出る。
ただの友達のつもりで部屋にあげたら、肉体関係を求めて押し倒してくる奴が出てくる。
たまたま髪の毛をかきなでたら、「あ、オレを挑発している」などと勘違いする奴が出てくる。
真鍋かをりさんの言葉を借りれば「迷惑なポジティブシンキング」の奴が出てくる。
そもそも、「好きな時にも女性からは誘いにくいので、態度から察して男性から誘うべきだ」などという発想は男女平等の世の中に似合わない。
雇用・法制度その他でばかり男女平等を主張して、恋愛は相変わらず「女性の気持ちを察して男性がリード」などというご都合主義は通用しない。
人類これからの目標は、他民族との共生、他宗教・他文化への理解である。
そこにあたって、「言わずに察する」ということは多分化には通用しない。言葉を用いて意思を伝える訓練を積んでいくべきである。
さて、冒頭の問題に戻ろう。
正しいとか間違っているというものがあるわけではないが、私は4回目も誘う。
まあ、急な話で時間がなければ、そいつは後回しにするけれど。
「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」というのは、1回や2回ならば、たまたま忙しかった・・・ということもあるけれど、3回連続と なったら、本当は興味がなく、迷惑に思っているのよ。塩浜を傷つけないように遠まわしに言っている優しさを察してあげるべき。・・・・などという女性の言 葉に影響され、一時期そういう方針に切り替えたことがある。
さて、私はかつて、「格闘大会」なるものを主催し、プロレス・柔道・空手・塩浜流新格闘道などの選手を戦わせていた。総合格闘技が流行するより前である。
3回連続誘ったけれど都合が悪かった人間がいて、第15回大会には声をかけなかった。ところが、彼は本当に「行きたいんだけれど、その日は忙しく て行けない」という状態だったのであり、しかも15回大会の日は空いていた。さらに言えば、後に彼は新日本プロレスの入門試験さえ受けたというほどの格闘 好きだった。本当に申し訳ないことをした。もちろん第16回大会には誘い、彼が初参加で初優勝。
私は決めた。
「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」という人の中には、本当に言葉の通りの人もいれば、「そんなもの全然興味がない」と言いたいところ、相手を傷つけまいとして「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」という表現を使う人がいる。
ならば、こちらはどうすべきか。
3回連続、あるいは5回連続いわれても、次回また誘う。
もう私はそういう人間だと思ってほしい。
いや、できれば、みんなにもここでこの文化を変えてほしい。
可能性がどちらもあるならば、言葉の通りに受け止めよう。
誘うことによって「また誘ってきやがったか。うざってえ」と思い不愉快になる被害が出るという問題と、誘わないことによってせっかくのチャンスを 逃す人が出るという問題があるならば、「気を使って」との美名のもと、ともかくも一応「うそ」をついた側にそのリスクを負ってもらおう。
多分、私に何回も電話かけられ、「興味ないと言ったら、傷つくと思って、遠まわしに断っているのに、また誘うのかよ、このストーカー野郎め」と思っている人も日本全国にチラホラいるだろうが、私は
1 明確に断れば誘わない
2 世のバカ企業と異なり、勝手に名簿業者から他人の情報を買ったり、無断で他人から聞いたりしてはいない。
そのかわり、私は極めて合理主義である。
「つまらねえから行かない」と言われても全く傷つかない。
私が誘ったイベントがつまらないというのは、別に私の人格を否定しているのではない。
むしろ、
「私は政治の勉強会には興味あるけれど、アイドルのイベントなんかまったく興味ない」とか
「自民党が講師なら行くが、民主党なんか行かない」と言ってもらったほうが、断然作業量が減ってありがたい。「行きたいけれど」などとくだらん気 をつかってこっちの仕事を増やすな。こっちは同じことを300人くらいに言っているのである。可能性がないものに時間をかけるのは馬鹿馬鹿しい。
さて、いきなりオタク論。
A 特定の事項に関して異様に深くのめりこみ、それに関する多くの知識や物を集める人
B 他人とのコミュニケーションが苦手で、傷つき、傷つけるのを恐れ、他と深く関わろうとしない。
C 運動不足のため、太っていて、脂ぎっていて、気持ち悪い
世のオタク批判は、「定義」と「傾向」または「性質」を混同している。
「あなたはオタクですか」「ロリコンですか」と聞かれたとき、うそはつきたくないし、むしろオタク・ロリコンに誇りに思ってはいるが、相手が「定義」と「傾向」または「性質」を混同するような人間である可能性もあるので、必ずしも即答しない。
大体、定義もあいまいなままで是非を論じるバカがメディアも含めて多いのでわが世直しの旅は終わりがなさそうだ。
仮に、上記Aをオタクと定義しよう。これは、他人から非難されるべきことではなく、むしろ、大企業の洗脳のまま、浅く広くあっちへフラフラこっちへフラフラしているより断然良いと思う。
BやCは、Aである結果としてよく見られがちの傾向に過ぎない。しかも、「見られがち」とは書いたが、実はAがBやCの性質を持っている相関性はそれほど高くないと思っている。こういったことはいずれまた書こう。
話を戻す。
Bを根拠にオタクを批判するのは定義と傾向を混同しているということが言いたいだけではない。
私からすれば、日本人全体がBの傾向を持っている。
仮にBをオタクの定義にすれば、日本人全体が、外国から見てオタクである。
行きたくもないのに、しっかりと自己主張できず、傷ついたり傷つけられたりするのを恐れ、「行きたいんだけれど、その日は忙しくて行けない」などと言う。小さな仲間で固まり、はっきり言わなくても以心伝心で通じると思っている。
「興味がないから行かない」と言えば、勝手に人格全体を批判されたとでも思い込み、怒る。
まさにオタク(B)ではないか。
私はオタクAには好感を持つが、オタクBについては変わってほしい。
いつまでも狭いところに引きこもっていられると思ったら大間違い。これから、自分と異質な者とも関わっていく世の中になる。個を確立し、言うべきことは言葉に出せ。
ということで、私は、あれこれ誘う。情報は多い方が良いではないか。私にも行くか行かないかはともかく、イベントはお知らせを。そのかわり、何度誘われても行かないかも知れない。私も断られるのは平気である。皆さんもいっしょにそういうルールに変えていこうではないか。