閑話休題
春と共に旅心が燃え立ってくるこの頃であるが、ここしばらくは天候不順が続いており、また17日は糖尿病の定期健診が予定されているので、遠出はそれ以降になりそうである。
そんなこともあり本格的な旅の準備運動として銚子、館山、高崎などを訪ねてきた。
高崎を訪ねた折、観光案内所に立ち寄っていろいろ調べると、群馬県にも見応えのある寺社が沢山あることを知った。
明日9日は天気もまずまずとの予報なので、前橋市内の寺社巡りに日帰りで行くことを思い立つ。
よって9日のブログを前日夜に書いた次第である。
館山市の寺社巡りのオオトリである那古寺は那古山の中腹に立ち、坂東霊場三十三番札所(結願寺)であるため、この日も大勢の参拝客で賑わっていた。
写真は参道入り口で右手に本坊。
参道入り口の茅葺の建物はトイレ。
真言宗智山派の寺院、山号は補陀落山。
717年に行基が元正天皇の病気平癒で祈願したのがはじまり。
源頼朝、足利氏、里見氏、徳川氏などの武家の信仰を集めて栄えた。
写真は仁王門。
阿弥陀堂には鎌倉時代初頭の阿弥陀如来坐像を安置。
写真は鐘楼。
観音堂は1731年に再建された五間四方の向拝付。
正面の扁額「圓通閣」の文字は松平定信の書。
また銅造千手観音立像は鎌倉中期作の重文。
写真は観音堂外陣。
多宝塔は現在修理中であり覆いがすっぽりと被されていたのが残念。
1761年に再建された三間社塔。
多宝塔は千葉県では先ほど訪ねた石堂寺とここだけしかない。
写真は観音堂左手の崖に祀られている小堂群。
左手前が昭和15年築の大黒堂。
その奥に龍王堂。
龍王堂の右に岩舟地蔵堂で漁業の安全を願う。
その下に白衣観音と石地蔵。
白衣観音は1794年に本堂修理を終えた記念に造られた。
境内の一番北端に日枝神社が祀られている。
1775年奉納の石灯篭。
ここから石段を下って行くと、途中に閼伽井がある。
観音堂の再建の折の宝暦11年(1761年)に造られた井戸。
弁財天が祀られていた。
那古寺前からバスに乗って館山駅に。
駅前の商店でお土産を見繕ってから帰途に着く。
今回の旅はバスを多用し、タクシーはほとんど乗らなかったにも拘わらず、多くの記憶に残る寺社を巡ることができた。
やはり事前準備の重要性と、その場での臨機応変により効率的な旅が可能であることを改めて認識した旅でもあった。感謝。