Oh!Rival ~ 大韓航空007便撃墜事件 | いつも 0-40   

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テニスを始めて5年目いまだ連敗記録更新中
やっすい時給で頑張ってるのはテニスのため
練習していつかあこがれの草トーに挑戦
いつかきっとゲットできるはずの1勝めざして今日もコートへ

5月も半ばになりました
火曜日の夜だったか
マレーシア航空機撃墜事件を
扱った報道番組が放送されてた

2014年7月
マレーシア航空の旅客機が
ロシア軍に撃墜され乗員乗客
298人が命を落とした事件

アムステルダム発午前10時31分
クアラルンプール行き
マレーシア航空MH17便
午後1時20分 ウクライナ東部の
上空を飛行中ミサイルに撃墜された

ミサイルは親ロシア派武装集団支配地域から
地対空ミサイルシステムブークによって
発射された9M38であることが判明している

国際合同捜査チームは4人を特定
★ロシア連邦保安局の元大佐
★ロシア参謀本部情報総局の職員
★GRU特別部隊の元兵士
★ウクライナ東部の親ロシア派の男性
4人を殺人犯として起訴し終身刑を求刑している
けれどロシアは容疑者の引き渡しに応じていない

オランダの調査でこの事故には
ロシア国防相の関与も判明している

犠牲になったのは
オランダ人 193人
マレーシア人 43人
オーストラリア人 27人
インドネシア人 12人
イギリス人 10人
ベルギー人 4人
ドイツ人 4人
フィリピン人 3人
ニュージーランド人 1人
カナダ人 1人

裁判は被告の出廷に拘らず
オランダで進められているけれど
なんの意味もないかも知れない
だってロシアはなにも認めはしない
引き渡されない容疑者は刑を受けることはい



39年前にも同じような事件が
起こって28人の日本人が犠牲になった

1983年9月1日
ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機が
旧ソビエト(現ロシア)のサハリン上空で
消息を絶ち乗客乗員269名が帰らなかった



事故後稚内の自衛隊が傍受した無線から
旧ソビエトのスクランブルに撃墜された
事実が判明した 戦闘機はスホーイ15

スクランブルは領空侵犯してきた侵入機に
対する軍用機の緊急発進の意味


世界中から非難を浴びた旧ソビエトは
この大韓航空機は旅客機を装った偵察機
つまりスパイ目的の飛行機だったと反論
国防の為撃墜は当然だと主張

当時少しだけ緩和しかけてた日本と
旧ソ連の関係は一気に悪化してしまった

大韓航空機は1978年4月20日にも
旧ソ連軍機に攻撃され2名が命を落とし
13人が負傷する大韓航空機銃撃事件に
遭遇している

撃墜された大韓航空機は
1983年8月31日22時00分経由地の
アンカレッジ国際空港を離陸

22時27分予定航路を北へ11km逸脱
管制官は警告しなかった

22時49分アンカレッジの管制官に経路の
通過情報情報を報告 実際の位置は報告
より22km北に外れていた
この時アメリカ軍のレーダーは007便を
捉えていたが管制権を持っていなかった
為に警告することができなかった

9月1日
0時51分
旧ソ連はレーダーに007便を捉え
アメリカ軍機と判断していた

1時30分
迎撃の為スクランブル発進
007便を捉えられず引き返した

2時36分
007便が樺太に接近
旧ソ連軍は警戒態勢に入った

3時8分
旧ソ連軍機が007便を目視で確認

3時20分
007便から燃料節約のための高度
上昇許可を求められた新東京国際
空港(現成田国際空港)の管制塔が
007便に3万5000フィートへの高度
変更を許可した

3時21分
旧ソ連軍機が警告射撃
007便は気が付かなかった

3時23分
007便は高度3万5000フィートに到達
旧ソ連軍機は007便の真横についていた
当時旅客機は軍用機の接近を感知する
技術がなく他の旅客機が接近した時には
鳴る警告音が鳴らなかったために007便は
迎撃機に気が付くことができなかった

3時23分
旧ソ連軍司令官は迎撃機に撃墜を命令

3時25分
迎撃機がミサイルを発射
007便の尾翼の後方に命中

007便は4つの油圧系統のうち3系統を損傷
機体に穴が開いて急速に減圧
機内に大きな衝撃と轟音が鳴り響いた
乗客は墜落まで全員意識を保ったまま
生存していたと推定された

恐怖と苦痛は想像を絶する

3時26分
機長が東京の管制官に交信を試みるが
途絶えてしまった

これ以降管制官のコールに007便が
答えることはなかった
ボイスレコーダーには観客の悲鳴が
録音されていたがクルーの音声は
記録されていない

着弾から1分44秒後
ボイスレコーダーの音声が途絶えた
最後に残されていたのは急降下を
知らせる自動アナウンス

操縦不能に陥っていたと思われる
007便は左へ旋回し上昇と下降を繰り返し
墜落していった

3時38分
旧ソ連軍のレーダーからも
稚内自衛隊のレーダーからも
007便は消えた

レーダーの記録と公開された機体の
残骸や遺体の状況から007便は機首から
地上に激突したかもしくは空中分解し
墜落したと推測されている

稚内の航空自衛隊は撃墜事件の一部始終を
モニター記録していた 稚内とは別の自衛隊も
ソ連の戦闘機と指揮官との交信音声を傍受
「ミサイル発射」のメッセージを確認していた
けれどこの時点では迎撃訓練だと思い込み
民間機が攻撃されていたとは気付いていなかった

傍受を記録したテープは後にアメリカが
旧ソ連に対し撃墜の事実を追及するため
日本政府からアメリカ政府へ引き渡された

報道はというと
9月1日の朝7時頃には大韓航空機が
サハリン沖で行方不明になったことが報じられた

情報は錯綜
撃墜説ハイジャック説が報じられる中
午前11時には旅客機がサハリン付近の
空港に強制着陸させられたとの誤報も流れた
この誤報では乗客は全員無事と伝えられた


日本や韓国アメリカなど西側諸国の報道に対して
旧ソビエトは沈黙を続け問い合わせに対しても
「該当する航空機は日本海へ飛び去った」と
事件への関与を否定

ところが
アメリカ政府がソ連軍機が007便を撃墜したと発表
自衛隊が提供した旧ソ連軍機の傍受テープに
ロシア語のテロップを付けてマスコミに公開

北海道のオホーツク海沖合で日本の漁船が
旅客機機体の破片や遺品を発見
海上保安庁とアメリカ海軍が捜索に乗り出す

9月2日
旧ソ連の参謀総長がモスクワで会見を開き
大韓航空007便は日本海方面へ飛び去ったと発表
当事国韓国の全斗煥大統領が旧ソ連を激しく非難
他の西側諸国も厳しく非難した

9月6日
国連安全保障理事会で旧ソ連軍機の傍受テープに
英語とロシア語のテロップをつけたビデオが
アメリカによって各国の国連大使に向けて上映され
旧ソ連軍機による撃墜の事実を改めて世界に公開
旧ソ連も大韓航空機の撃墜を認める声明を正式に発表した


9月9日
旧ソ連の参謀総長が大韓航空機は民間機を装った
スパイ機であったとの声明を発表

9月13日
緊急安保理事会でソ連への非難決議が提出された
常任理事国のソ連の拒否権の行使により否決

事件後日米ソの船舶や航空機が墜落したと
想定された樺太の西の海馬島周囲の海域を
船舶や航空機によって捜索したが旧ソ連は
領海内への日米の艦艇の立ち入りは認めず
公海上での捜索に対しても進路妨害するなど
一切協力をしなかった

日米が必死になって捜索していた
ブラックボックスは事故後すぐに旧ソ連
当局によって回収されていた事が後日判明
日本とアメリカは事実を知らないまま既に
存在しないブラックボックスを半年以上も
捜索し続けていた

ブラックボックスだけではない
旧ソ連側に回収された複数の遺体と遺品は
わずかに日本側に引き渡されたもの以外のすべてが
証拠隠滅のため旧ソ連軍によって焼却されていた
遺体も戻らない家族との別れ



宗谷岬には折り鶴を模した慰霊碑が建てられ
犠牲者の名前と事故の概要を記した碑と
遺族会による平和への思いが記された碑が
建造されている



日々伝えられるウクライナの惨状と
嘘で固められたロシアの主張
ロシアは旧ソビエト時代から何も変わらない


一日も早い戦闘の収束を祈って
そして
ウクライナの人々に平和な時間が戻る事を願って

◆参照記事
NHKアーカイブス/大韓航空機撃墜事件
大韓航空機撃墜事件 ウィキペディア
時事ドットコムニュース
BBCニュース
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