悲しみよこんにちは。 | ひとりでもせんに~ん

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西洋占星術の鑑定、講師。オーラソーマ「も」やってます!

今日3月6日は父の命日です。

55歳だった
突然だった

以外、なんとも思いません。

ただ
残った側の感情ではなくて

「本人に悔いはなかったのか」
こちらの方が気になりました。

早かったし
突然で何の心構えも出来ませんでしたが
子が親を見送るのは当たり前のことです。

突然過ぎて段取りに追われ
涙はしばらく出ないかな~
と思いましたが、

棺桶がかまに入ると

何の感情もないのに
自動的に涙が止まりません。

人生 後にも先にも(今のところですが)
この時だけでした。

思ったよりも早く涙が出たから
しばらく持つな、って思いました。

自分だけ悲しいんだモードに
浸らない

時間が解決するまで
待たない

出来るだけ
日常に早く戻す

生きるためにはこの方法が
我ながら良かったと思いますが

ここが問題なんです。

悲しんでいない悲しみは
残る

悲しみは 悲しまないと 乗り越えられるものでは
なさそうです。

それ以来
お身内を亡くしたばかりの方には
人生の先輩でも 僭越ながら

「しっかり悲しみましたか」と
お声掛けしています。

そして、
「三年忌過ぎると
今まで気がつかなかった
ぽっかりとした喪失感が
やってくるかもしれませんが
体だけは大事にしてくださいね」と。


追善供養は残った者のため

三年忌くらいまでは法事に追われますが
ふっと 一段落したころ

「ああ、本当にもういないんだな」
と気づきました。

あれから18年。
時空がねじれているのか
早かったのか、今でもよくわかりません。

ただ、よ~く 覚えているのは

人生で一番踏ん張った21歳の 1年間
だったということなんです。

この後やってくる
悲しいこと
うちひしがれること
どうなるんだ人生

ということが起きている時でさえ

あの一年にくらべりゃあ
たいしたこたぁない。

って思えたんです。

これからも思えるんです。

悲しみは
しっかり
悲しむ

気がつかないでいればいるほど
残ってしまうようです。

しっかり悲しんだら
悲しみにさようなら
できますよねきっと。




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