● あの世を「損得勘定」で考える。 | たいやき社長、書く。

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目には見えない「あの世」というもの、「死後の世界」を否定する人は、とりわけ日本では多いと思います。しかし、あの世がないというのであれば、それこそ、お葬式をする必要もありませんし、お盆などにお墓まいりをする必要もありませんし、そもそもお墓もいらないでしょう。

目に見えるもの以外は信じない。目に見えないものは信じないといいながら、お正月には初詣で神社にゆき、お賽銭を入れて、手を合わせているのです。ですから、私は、唯物論者、無神論者であっても、日本人は、心の奥底では、「あの世」の存在を認めているようにも思うのです。

「あの世」があるかないかということに関しましては、信じる信じないは置いておき、ひとまず、損か得かで、「損得勘定」で考えてみることをおすすめします。結論からいえば、「あの世」というもの、死後の世界があると信じて生きた方が〝 得 ″ するのです。

それは、どういうことかといいますと、「あの世はあるのだ、死後の世界はあるのだ、死んでも終わりではないのだ」と信じながら死んだとします。そして、実際に死んでみたら、自分の抜け殻である「肉体」を上から眺めている自分がいるのです。

そうしたら、「ああ、そうなのか、やはり死んでも終わりではなかったのか。」と、この世の役目を終えて、あの世にゆく心がまえができますが、これで、死後の世界を信じていなかった場合には、自分は〝 生きているのに ″ 何やら死んだことになっている。これは一体どういうことか。と、肉体がなくなっても、自分が死んだことが分からず、「浮遊霊」となって、永遠に、孤独にさ迷い続けるのです。

そして、あの世を、死後の世界を信じていたけれども、「やはり死んだら終わりだった。死んだら何もかもすべて御破算となり、消滅してしまった」という場合には、いずれにしても、すでに〝 何も分からない ″ わけですから、べつに何も困ることはないのです。

したがいまして、あの世を信じるか信じないかを、「損得勘定」で考えますと、信じていた方が〝 得 ″ であることは間違いないのです。ですから、得したいのであれば、信じて生きるべきですし、別段、得したいとも思わないのであれば、信じなければよいのです。しかし、もし、死後の世界が存在した場合には、浮遊霊として、永遠にさ迷い続けることになっても、それは自業自得、自己責任です。ここでは、あの世を損得勘定で考えるという、ひとつの判断の材料を提供しました。

  
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