彼は、戸田城聖の弟子らしく、正々堂々と真実を訴え、無罪を勝ち取ることを、 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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         〈裁判〉 1

 

 猛暑の夏が過ぎた。やがて、涼しい風が吹き始め、澄んだ秋空が広がった。

 

 学会は、来る日も、来る日も、大空をかける若鷲のように、さっそうと飛翔を続けていた。

 

 山本伸一も、その先頭に立って、東奔西走の日々を送っていたが、彼の胸中には、大阪事件の裁判という暗雲が垂れ込め、人知れず心を悩ませていた

 

 

 昭和三十二年十月十八日、大阪地方裁判所で、第一回の公判が行われた。

 

 伸一は、法廷の被告人席にあって、いよいよ、長い戦いの幕が開いたことを感じていた

 

 彼は、戸田城聖の弟子らしく、正々堂々と真実を訴え、無罪を勝ち取ることを、心に期していた。

 

 この時、伸一が何よりも気がかりでならなかったのは、戸田の健康である。戸田の憔悴は著しかった。

 

 自分の逮捕、投獄によって、どれほど戸田を苦しめてしまったかと思うと、伸一の胸は、張り裂けんばかりに痛むのであった。

 

 ”果てしなく続くであろう、この裁判に、一日も早く勝利し、お元気な先生に、ご報告申し上げ、ご安心いただきたい

 

 伸一は、終始、そのことばかりを考えていた。

 

 ・・・。

 

 中旬になると、大村昌人らの弁護人から、証拠の記録謄写が、翌年の一月末ごろまでかかることから、第二回公判の延期の請求が出され、三月六日に次の公判が行われることに決まった。

 

 

 その日は、総本山大石寺で、三月一日の・・・法要に引き続いて、一か月にわたる記念の総登山が行われていたさなかである

 

 既に、戸田城聖の病は篤く、体力は著しく衰え、起居も思うに任せぬ状態であった。

 

 そのなかで戸田は、死力を振り絞るようにして、最後の戦いの指揮を執っていたのである。