(大白蓮華、2021,7月号、「世界を照らす太陽の仏法」から)
「兄弟抄」は池上兄弟が父親から信心を反対され、窮地に立たされた中、大聖人のご指導通りに戦った結果、父親をも入信し、難を乗り越える模範が示されています(管理者記)。
=「兄弟抄」講義の一部=
未来部の皆さんの中には、「信心していれば功徳があるはずなのに、なぜ難に直面するのか?」「信心しても、大変な思いをして結局やめるのなら、最初から信心をしない方がいいのではないか」と疑問を持つ人もいるかもしれません。
大聖人は池上兄弟に「石はやけば灰となる・金(こがね)はやけば真金となる」と仰せです。
もともと、法華経を持つ「金(こがね)の人」なのだから、断じて試練を乗り越えて、わが生命を真金として明るく強く大きく輝かせていきなさい、との深い信頼のお心が拝されます。
確かに、難のない平坦な道は楽です。しかし、苦難の坂を上り切っていけば、見晴らしの良い山の頂(いただき)に立つことができる。
つまり、難とは、本質的に私たちの信心が本物かどうかを試すものであり、成仏に向かっての鍛錬となるのです。
戸田先生は、わかりやすく言われました。
「魔は、その人の試練のためなので、ちょうど柔道の先生に投げられ、投げられして、強くなっていくようなものである。
来たか、負けるものかと、頑張れば、必ず難局を切り開かれる」と。