(大百蓮華、2021,3月号、「世界を照らす太陽歩仏法」から)
本抄の冒頭で大聖人は、「世間に人の恐れるものは炎の中と剣の影とこの身の死するとなるべし」と仰せです。
「炎に包まれること」「剣をかざして襲われること」「この身が死に至ること」は、誰でも恐ろしいことであるー生死という、人間にとって最重要の根本問題から書き起こされています。
人は何より死を恐れる。何よりも命が大事だからです。(略)
しかし、一般世間でも、主君からの恩賞に報いるためなど、あえて自ら大事な命を捨てることも少なくないと指摘されています。これは、当時の価値観と倫理観によるものでしょう。
さらには魚や鳥の譬えを通して、命を大切にして惜しんでいるようであって、結果的に愚かにも命を失ってしまう場合もあることを教えられています。(略)
「餌にばかされて」とありますが、魚や鳥など動物の習性に限ったことではありません。私たち人間であっても、目先の利益などにとらわれ惑わされ、ひいてはわが身を滅ぼしてしまうという悲劇も起こり得るのです。(略)
人間として生まれ、最高の生命尊厳の哲理である仏法に巡り合う。実は、これ以上の福徳はありません。だからこそ、この福運に満ちた命を何に使うのか。そして尊き一生を、いかに最極の価値あるものにしていくか。(略)
自他共の尊厳を輝かせ、自分に縁した人をも幸福にするのです。又絶望を希望へと変えるためであり、和楽の家庭を築くため、地域と社会の繁栄のためです。(略)
ですから「大切な命を何に使うか」ということは、本抄御執筆から750年の歳月を超えて、大聖人が直接、皆さんに鋭く呼び掛けている命題であると言えましょう。