(大百蓮華、2020,2月号「世界を照らす太陽の仏法」から)
かって、歴史学者のトインビー博士が日本の読者からの質問に答える、という新聞社の企画がありました(1970年、毎日新聞社)。私と博士との対談を行う数年前のことです。
そのなかで、「薄幸の運命を余儀なくされているこの世の子らは、一体何を信じ、何をたよりとして生きていったらよいでしょうか」とのある読者からの切実な問いに、博士は、こう答えられました。
「人間である以上、金持も貧乏人も同じ悩みを持っていますー精神的、肉体的な苦しみ、いつかは死なねばならぬこと、愛する人に先立たれることなどです。
このような苦悩は人生の本質の一部をなすもので、これから救われるためには、何らかの宗教を持つ以外に方法はないと信じます。私がいう”宗教”とは、教義や儀式のことではありません。
他人への愛や他人の幸福に対する思いやりの意味です」
「人間は自分を自分自身から脱却させてくれるような、何らかの宗教のために生き、またそれを信じない限り、自分自身にとってもまた他のだれにとっても耐えがたいものとなる」
博士は、私との対談でも「人間の尊厳の確立」ということを強調され、それは「どれだけ慈悲と愛を基調としているかによって」決定づけられると言われていました。
私たちが、万人の尊厳性を高らかに歌いあげる人間主義の宗教を実践し、広宣流布の大願、師弟の誓願に生きることは、どれほど幸せな人生でしょうか。
私たちの日々の挑戦は、友を救い、社会の安穏と平和を築く確かな慈愛の源泉となっていくのです。