昔からの定番トピックの一つに「独り暮らしの年末年始」というのがある。
「寂しいだろうね」、「寂しいよう」と慰め合う趣向らしい。
余計なお世話だと私は思う。虫歯になれば歯は痛む。当たり前ではないか。
こういう場合、勝者は常にまだ子供が幼いパパとママだ。
だが、その栄光の時代もせいぜい7~8年しか持続しない。理由は、私が嫌味たっぷりに書いている通り。
独り暮らしの年末年始の孤独に、老若男女の別はない。
若者には若者の、老人には老人の孤独がある。要するに、みんなひとりだ。
では、家族と一緒に暮らしていれば、年末年始の孤独を免れるかと言うと、昨今ではそれもかなり疑わしい。理由は敢えて書かない。
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さて、私事ながら。
娘が年末に帰省すると言う。
無論久しぶりに顔が見られるのは嬉しいが、正直別種の思いもある。
まだ子供なり学生であって、自分の手元にいた頃は、娘は紛れもない私の身内だった。私は、彼女の日々の不安、希望、喜怒哀楽、その多くを我が事のように把握していたと思う。
だが、現在。
独立して社会人になった娘の仕事、人間関係、私生活等々のディーテイルの情報が一年以上遮断状態になってしまった現在、年末にやって来るのは言わば「懐かしい客」であって、「身内」という実感は薄れた。今成立する対話は「最近どうだ?」「まあ、ぼちぼち」くらいのものだろう。
仕方のない事で、自分の人生のある一定時点における様相を全て述べよ、と言われても、それは無理な話だ。
2年前に私は既にこの事態を予想し、手回し良く空の巣症候群に陥った。
もう少し率直に言えば、私は年末年始の里帰りなどという伝統には毫末ほどの関心もない。
寧ろ、願わくは、今娘が何を願い、どのように生きて行こうと考えているのか知ることができたなら、LINEのテキスト1行で十分満足する。
とは言え、それもやはり無理な話かも知れない。
そんなことは、本人でさえ分からないことが多いから。
あるいはまた、こういう執着を一つ一つ諦めていって、初めて子離れが完結するのだろう。
さて、一人暮らしの読者諸氏に。
どこに住み、何をし、どんな思いを抱いて日々暮らしているか知る由もない諸氏に。
何はともあれ、メリークリスマス!
(2023.12.24)