執念で作った、トップモール! | しばちゃんとクルマ⚡

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R31のほとんどの車のトップモールが、このように、ウネウネになっています。
 
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長年の経年変化(熱や寒さ)で、モールが縮み、後ろの部分が寸足らずになってきます。
 
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当然のごとく廃盤商品であり、修理も不可能とされてきました。
 
レストアしたときに、このモールだけが、ウネウネしていると、せっかく最高に仕上がった車でも、残念な気持ちになります。
 
このモールを作りたいと心底思いました。それが今から2年前です。
 
そもそも、この部品をどうやって作るのか、さっぱり分かりません。
 
困ったときは、台湾です。
 
ラジコンを作ることで、ものつくりを覚えた俺は、台湾のローカル企業を紹介、紹介で渡り歩き…
 
 
結果、私の仲間(ラジコンで知り合った人)の、知り合い(とある電子パーツメーカー)の、知り合い(とあるゴム製造企業)の、知り合いの(とある樹脂成型企業)に辿り着きました。
 
私は、このパーツを作れる人を探しあてました。
 
 
もはや、やってることが、完全に、ドラクエの世界ですよ。
 
んで、そこの社長と飯を食って、酒を飲んで、仲良くなって、やっと、部品を作ってくれることになりました。(ここで半年)
 
日本から、中古のパーツを持って、台湾に行き…
 
そもそも、本来の形が分からず、本来の素材が分からず、当然、図面もなく…
 
とりあえず、なんとなく、ざっくりとした雰囲気で、金型を作り、適当な素材で、試作を作りました。(ここで1年)
 
めちゃくちゃ部品が硬かったので、てっきりプラスチック系の素材だと思って作って、その試作を日本に持ち帰り、実車にあててみたら…
 
車に装着したら、車が、3Dにラウンドした形状だったので、モールが、ボディに対して、逆反りをして、モールとボディの間に隙間が出来て、走行すると、風切り音が、ピューピューいうので、失敗となりました。
 
 
パッと見、めちゃシンプルな形をしているように見えますが、実際は、↑上記のような形状をしておりまして、外に見える部分のAと、モールの下に隠れる部分のBで構成されております。
 
Aの部分は、ボディにきれいにフィットしなくてはならないので、やわらかい素材である必要がありますが、Bの部分は、このモールを固定するモールの金属の部分に、両面テープで貼られるため、曲がるけど両面テープが貼付け可能な固い素材でないとダメです。
 
つまり、この単純に見えるモールですが、AとBの素材が違うのです。
 
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↑図に書くとこんな感じです。1で分かりやすく書きました。2は実際に金型から、押し出し成型されるイメージ図ですが…
 
この2の実際に成型されるときに、金型に対して、原料が、シングル(単素材)で入るのではなく、ダブル(2種類の素材を同時に注入する)で入れて、金型内で、溶着させる必要があることに気が付きました。(ここで1年半)
 
 
桃太郎飴と同じ原理です。
 
そもそも、車を作ったことがない俺は、そんな成型方法を知らないし、何万点もある車のパーツのたった一つのゴムのモールの部品が、こんなに大変な技術を持って作られていることに感動しました。
 
普通に車屋をやっていては、こんなモールの成型方法を、一生知ることはありません。
 
そして、何度も素材(硬度や材質)を変え、いろいろなサンプルを作り、ついに、完成したのが、今回のモールなのです。
 
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50本ぐらい束ねられています。
 
あまりにも、この部品が、いとおいしくて、この日の夜は、モールとを抱きしめて一緒に寝ました。まじです。
 
日本に持ち帰り…
 
 
装着したときの感動は、一生忘れません。
 
これで、この世にいる、R31のモールのウネウネは、すべて美しいモールに変わることになると思います。
 
知らない人から見たら、ただのゴムのモールに見えるかもしれません。
 
ただのゴムのモールであれば、原価なんか、数百円でしょ?と思われるかもしれません。
 
このモールを作るのに、台湾に行き…
 
知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの工場を見つけ(日本人なんか誰も来るような場所でもないし、日本人がしらない超ローカル企業です。)そこの親父と飯を食い、酒を飲み、信頼関係を作り、金型を作り、試作を作り、なんどもテストをして、2年という歳月をかけて、ようやく完成した、俺にとっては、渾身の一作です。
 
図面もなく、素材も分からず、作り方も分からない、それでも、どうしても必要だから、ものつくりに挑戦するんです。
 
この数百円のパーツを作るのに、何百万かかってると思って?(笑)
 
おそらく、このブログを見ている企業さんの中に、樹脂成型屋さんもいると思うので、そんなもん技術的に普通なことで当たり前かもしれないし、日本で作ればすぐできるし、もはや2年という歳月と、台湾に行く労力を考えたら、日本でやったほうが早いし安いんじゃね?と思っている方もいると思います。
 
このモールを、たった数百本作るのに、日本の企業は数が少なすぎて作ってくれないし、きっと相手にもしてくれないと思います。
 
台湾の親父は、この2年間、毎月工場に通う俺を見て、何かを思ったかもしれませんが、そもそも言葉が通じないので、何か言っていても分かりません(笑)
 
車のパーツの中で、本当に一部の部品である、このモールを作るだけで2年もかかったので、R31で他にほしいパーツを全部作ったら、ガチで100年ぐらいかかると思います。
 
なので、そういうわけにはいかないので、何十というパーツを同時進行で現在進行形で開発をしております。現在、R31のパーツを作ってくれる工場が、台湾、中国、タイ、ベトナム、知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いぐらいまで、ローカル企業ネットワークで仲間が増えております。
 
どこの国の企業のおやじも、俺の話を聞いてくれます。
 
 
日本からやってきた、ただのスカイライン好きのおっさんが作りたい、ほんとたった少ししかないロッドの部品を作ってくれるのを手伝ってくれます。
 
結果、うちのお客さんたちは、廃盤になった部品に困ることもなく、今日も、普通にR31に乗ることが出来ます。
 
トップモールが、ウネウネしていても、別に車に乗れるし、そんなもんわざわざ変えなくてもいいじゃん、と思う人がいるかもしれません。
 
俺はあの部分が、ウネウネしているのは、心底嫌だ!
 
2年間、このモールを作るのに、情熱と執念をかけられるぐらい嫌なんです。
 
ウオッシャータンクとリザーブタンクも、黄色いのが嫌だ。白くないと嫌だ。それと同じです。
 
そんなどうでもいいやん?と思う人がいるかもしれません。
 
いやいや、俺みたいな専門店のおやじが、そんな小さな、こだわり1つも持たないで仕事するなら、専門店なんかやめた方がよくね?
 
 
俺は、22年前、22歳の時、1人で、R31の専門店を始めました。
 
最初の1年は、車が3台売れました。
 
自分で車を整備して、自分で塗装をして、俺スタイルに仕上げて、自分で積車に積んで、お客さんの家に納車に行き、納車後、何かあったら、自分で積車に乗って引き取りにいって、全部自分でやっていました。
 
1年で販売は3台しか作業していないので、土日は休みで、平日も夕方には終わり、のんびり暮らしていたことを今でも思い出します。
 
最初は、当然、そんなに仕事がなかったのですが、2年目には、もう数百人のお客さんになっていて、店を作って4年目の2000年頃には、お客さんの数が、1000人を超えていました。
 
その当時、従業員の数が、3人でしたが、もう仕事がパンパンでした。当時26歳、若かったので寝ないで作業をしていたし、家に帰るのが面倒だったので工場の床でそのまま寝ていた記憶があります。
 
あれから、22年、今は、8人のメカニックを含む総勢20人のスタッフで、リフト15基で作業をしていますが、それでも仕事がパンパンです。
 
3000人近いお客さんを面倒みていますが、一番困るのは、部品がなくて修理できないことです。
 
 
だから俺は、その部品を作ってくれる人を探して、世界中とびまわっているのです。
 
ある人に言われました。
 
アジアのローカル企業で、部品なんか作れるわけがないと。
 
いやいやいやいやいや、つくれるし(^^)
 
 
宝は、アジアの各地にあるし!
 
スカイライン史上、もっとも不人気で、失敗作といわれた車の、ウネウネになったモールが…
 
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30年の時を経て、台湾で新品で作られたんですよ?
 
これが、男の子のロマンで、愛と勇気の感動の物語といわず、何を物語というのでしょうか?
 
って、こんなブログを書くと、俺の車のウネウネになったモールを変えておいてくれ!とメールとラインが殺到するのです。
 
で、また、仕事が炸裂するのです。
 
やっぱり俺は、バカなんじゃないかと思います。
 
でもどうしても、今日は、この話をしたかったのです。
 
こんなモール一つにも、これだけの物語があると皆さんに言いたかったのです。
 
俺が作っている部品、すべてに、そういう思い入れがあります!
 
その部品を作るのには、ちゃんと作る理由があるのです。
 
言いたいこと言ったので、すっきりしたので、家に帰って寝ます(笑)
 
おやすみなさい。