少し間が空きましたが、元気です
お月見も過ぎたというのに、この暑さ
温暖化は確実に進んでいると思わされます
結果的に「誤診」だったので笑い話で今のところ済んだのですが、この8月は親の病気問題に直面し、心が沈みっぱなしでした。
約束していた遠出もお出かけも、すべてキャンセルして。
ですが具体的に今後どうしたらいいのか対策を練る気力もわかず、でもいざとなったら当事者として逃げるわけにもいかず、現実逃避したいけどどうしようもなく辛い一ヵ月でした。
今回は誤診だったからよかったけど、猶予を与えられただけにすぎず、確実に近い将来向き合わざるを得ない問題です
親の病気や死は、誰にも不可避、等しく訪れる問題。
だからこそはるか昔から宗教や哲学で乗り越える・受け入れるための方法が繰り広げられたのかな、なんて
私もネットで散々検索しました
何年たっても立ち直れない人や、ふとした瞬間に思い出がよみがえって苦しくなる人…。
いろんな体験記を読み漁り、共感したり、心構えにしようと思ったり。
なかでも
独身者で親が亡くなったとき、それは本当に孤独です。
配偶者や自分の家族がいるかどうかで、孤独の重みが全然異なるのです。
的な解説…、これは本当に心に突き刺さりました
まさにこれは私のこと。
きょうだいたちには自分の家庭がすでにあって、仮に親が亡くなって悲しいは悲しいだろうけど、同居の独身の自分とでは悲しさの重みが違うだろうって、想像できる。
そして自分の老後とは。
おそらく孤独死。別に来世とか天国地獄、お墓とかどーでもいいと思っているし、行政のお世話になるのだと思う。
ただ突然死ならまだしも、長く寝付いた挙句孤独死となると、たくさんの人に迷惑をかけてしまうのは必至。
となるとせめてお金で解決できる問題は、なんとかせねば…でもそのお金が大問題なんよね
と、悶々と先月から今に至るまで考えております
仕事しろって話なんですけど
では仕事します、一応