今回はヤッドバシェムをご紹介します。

 

イスラエルの歴史を語るのに、この場所を欠くことはできません。

特にヤッドバシェムは第二次世界大戦の頃にナチスによって虐殺された約600万人のユダヤ人のことを永遠に忘れることがないようにと記憶・記念するために建てられたホロコースト記念館です。


この記念館はエルサレムの西側に位置していて、周りは自然が豊かで、エルサレムの森をはじめ、前回紹介しましたエンカレムにも近く、とても静かな場所です。

(ヤッドバシェム ホロコースト記念館)

「ヤッドバシェム(יד ושם)」はヘブライ語ですが、旧約聖書のイザヤ書56章に由来しています。

“わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える” イザヤ書56章5節

この中にある「しるしと名(יד ושם)」から来ています。


最初にホロコーストを追悼するための建物として、記念館が1953年に建てられましたが、イスラエルが独立した1948年よりも3年前の1945年、第二次世界大戦終結後にすでにホロコーストのための館を建てる構想があったようです。それほどイスラエルにとっては大切な追悼施設だということが分かります。

現在の記念館は2005年にリニューアルされ、旧館に比べ、何倍もの資料や写真、映像が展示されています。より多くのものに触れることができるようになりました。

新しくなった記念館は、写真のように三角柱を横に寝かしたような建物です。また生き残った(サバイバー)の方々の証言動画が数箇所で常に上映されているのも特徴的です。

また、ヤッドバシェムは、過去に起きた悲しい歴史を記憶するため、またホロコーストという負の遺産を後世に残し、伝えていくための施設としての役割も担っています。

遺物や文書を収集すること、ホロコーストに関する証言を収集・出版すること、ホロコーストで亡くなった人々の氏名を収集・追悼すること、そして研究と教育活動を行っています。

 

ヤッドバシェムには、ホロコースト中に命を危険にさらしてナチスからユダヤ人を救うために尽力した非ユダヤ人に「諸国民の中の正義の人」の称号を授与する特別法も認められています。

その1人が杉原千畝さんです。このことは後ほど紹介いたします。

 

「追憶ホール」は、ホロコーストで亡くなった600万人の追悼施設です。コンクリート構造の建物で、中央には常に追悼の火が灯され、床にはアウシュヴィッツをはじめ、ダッハウなど22の絶滅収容所や強制収容所の名称が刻まれています。

1968年1月11日には、強制収容所の一つトレブリンカで焼かれたユダヤ人の遺灰がこのホールに埋葬されました。

毎年ホロコースト記念日と戦没者記念日には、「すべての人に名前がある」という式典が行われ、ホロコースト犠牲者の名前が読み上げられます。

イスラエルへ公式訪問された各国の要人は必ずこの場所を訪れ、犠牲者を追悼して花輪を捧げます。

追憶ホール

今も消されることのない、永遠の灯火が印象的なホールです。ここでは亡くなった方々を追悼する意味で、ユダヤ教の聖地と同じような扱いとなり、ホールに入る際には男性のみキッパーと呼ばれている小さな丸い帽子を頭に付けることを義務づけています。ちなみにキッパーの色は喪に服す時の黒色です。

 

ヤッドバシェムには他にも様々なホール、建物がありますが、中でも亡くなった約150万人の子供たちのために建てられた「子供記念ホール」はとても印象的です。

ホール内は全面鏡張りで真っ暗ですが、数本のロウソクの火のみが鏡に反射して無数の火のように見えます。それは150万人の子供たちを表すようになっています。さらにエンドレスで子供たちの名前と出身地、年齢が英語とヘブライ語で読み上げられています。年齢を知ると本当に幼い子供たちが殺されたのだといたたまれない気持ちになります。

そのホールを出ると、子供たちが周りに寄り添うようになっているコルチャック先生の像があります。

コルチャック先生はポーランド系ユダヤ人でワルシャワで小児科医でしたが、のちにユダヤ人の孤児たちのための孤児院が建てられた時にはその院長になった人でした。ナチスによるポーランド侵攻後、ワルシャワにユダヤ人のゲットーが作られると、そこに収容され、最期は孤児院の子供たちとともに殺されていきました。

そのコルチャック先生と子供たちの像がこちらです。

今もこの像を訪ねる人は絶えません。

 

コルチャック先生と子供たちの像からそのまま出口へ向かうこともできますが、少し追憶ホールの方へ戻ると、杉原千畝さんの木とネームプレートの場所へたどり着けます。

(「諸国民の中の正義の人」杉原千畝さんの名前の入ったネームプレート)

 

ヤッドバシェムの敷地内には多くの木が植樹されていますが、ほとんどにネームプレートが付いています。イスラエルでは亡くなった方、また何かの記念に木を植えてその人を称える習慣がありますが、ここでもそのような意味合いがあり、第二次世界大戦やその前後に自分の生命をかけて、ユダヤ人を救った人々に「諸国民の中の正義の人」として功績を称え、植樹するとともにネームプレートが付けられます。

様々な国の方がいますが、私たち日本人に関係があるのは、杉原千畝さんです。おそらくヤッドバシェムに植樹されて、このようにネームプレートがある日本人は杉原さんだけだと思います。

杉原千畝さんについての詳しい説明は、ここでは割愛いたしますが、簡単に説明すると、リトアニアで領事代理として任務していた際に人道的な立場から約6000人のユダヤ人のために、日本を経由して当時オランダ領だったキュラソー島への通貨ビザを発行しました。そのことが戦後、来日したユダヤ人たちによって分かり、ヤッドバシェムに名前を記すことになりました。


30数年前にイスラエルに留学していた頃、初めて杉原さんのことを知りました。それまでは日本人でそのような方がおられたなんてことは全く知りませんでしたので、驚くとともに誇りに思いました。そこで、ヤッドバシェムのどこかに杉原さんの名前の記されたネームプレートがあるはずだと、何時間かかけて探したことがありました。その当時は記念館のすぐ側ではなく、人があまり訪れないような外れに植えられた木でしたが、その後日本人が多く杉原さんのプレートを探すようになり、現在の場所へ移されました。しかも英語とヘブライ語だけでなく、日本語でも名前と国名が記されるようになり、日本語が入った唯一のネームプレートとなっています。


他にもスピルバーグの映画「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーが有名ですが、シンドラーの名前は妻のエミリーと一緒に表記されています。ちなみに、記念館のエントランスに近い場所にあるので割と見つけやすいです。


ぜひヤッドバシェムで、イスラエルの近代史に触れる体験をしてみてください。