今回はエルサレムの西の外れにある、エンカレムをご案内いたします。

 

ヘブライ語ではעין כרםと書き、「ぶどう園の泉」の意味となります。

エンカレムの近くには、ヤッドヴァシェム(ホロコースト記念館)や、ヘルツェルの丘、ハダッサ病院などがあり、それらの場所からは見下ろす形になる、谷間に広がる一帯です。

今に至るまで周囲を潤す水が湧き続けていて、樹木や果樹園も多い緑豊かな谷間です。石畳と雑踏の旧市街や車も多い新市街から来ると、ちょっとホッとするところです。イエスの母マリアがエリサベツを訪れた場所として、イスラエル旅行で訪れた方も多いと思います。

 

新約聖書にある「マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。」とある“山里”がピッタリと来ます。

旧約聖書の中には、直接この名前では出てきませんが、ベイトハケレム「ぶどう園の家」(エレミヤ6:1、ネヘミヤ3:14)という地名が、エンカレムに当たるのだろうと考えられています。

ケレムもカレムもぶどう園を表しますが、聖書の時代からこれが地名になるくらいですので、ぶどう園で有名な場所だったんでしょうね。

 

この地域を発掘すると、中期青銅器時代(今から約3500-4000年前)の時代の、陶器片なども見つかるようですので、古くからここに人が住んでいたことが分かります。イエス様の時代のころの家のあとからは、沐浴用の小プールも見つかっており、エルサレム周辺の大切な街の一つであったことが分かります。

 

さて、エンカレムに来る多くの旅行客が訪れるのが、イエスの母マリアが洗礼者ヨハネの母エリサベツを訪れたとされる訪問教会です。中にはこのヨハネが生まれたとされる聖ヨハネ教会も行ったことがある方がいらっしゃるかもしれません。

 

伝説では、ザカリヤとエリサベツ夫妻は普段は谷の中の家(聖ヨハネ教会)で生活をしていましたが、夏の暑い時期は少し標高のある斜面中腹の家(訪問教会)へ移っていたのだろうと言われています。

 

現在の聖ヨハネ教会は、ビザンチン時代や十字軍時代の教会跡に、17世紀になってカトリック・フランシスコ派の人々により、洗礼者ヨハネが生まれたとされる洞窟の上に建てられました。教会堂に入って左手奥にその洞窟があり、当時のザカリヤの家の一部だったと考えられています。

エンカレムのパノラマ(中央の赤屋根が聖ヨハネの教会)

 

ルカによる福音書には、

ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。(1章5-7節)

と書かれてあり、エルサレムの中心地からは少し離れたこのユダの山里で、信仰深く歩んでいた、老夫婦の姿が浮かんできます。

 

さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。 すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。(1章8-11節)

祭司は24の組に分けられていて(歴代上24章)、ザカリヤは8番目の「アビヤ」の組に属していました。それぞれの組はさらに6組に分けられ、日曜日から金曜日まで輪番で聖所内での務めをおこなっていました。

 

香壇は七枝の燭台(メノラー)、パンを置く台とともに「三種の神器」として、神殿の「聖所」に置かれていました。ここから先には「至聖所」と呼ばれる、1年に1回だけ大祭司しか入ることができない、最も神の箱に近い場所です。

 

上の聖書の続きには「ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。」とあり、聖所は時々神の臨在を感じて不思議な現象が起こる場所だったと思われます。そして「やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。」自分の家、つまりエンカレムの家に帰りました。

その後、老エリサベツは身ごもってヨハネを生むことになります。

 

聖ヨハネの教会から、訪問教会へ向かう途中に「マリアの泉」があります。

今は飲料用には向かない水のようですが、今もコンコンと水が湧き出しています。

カトリックの伝承では、この場所でマリアとエリザベツが出会ったとされます。

 

現在の泉の上には、イスラム教のモスクが建てられていて、外からよく見るとイスラム教寺院の尖塔(ミナレット)を見ることができます。

水が流れていて泉のように見えるものは、実は古代の水道の終点です。

 

ここを過ぎて坂道をしばらく登ったところに訪問教会があります。

ナザレで天使ガブリエルから御告を聞いたマリアが、急いでエリザベツに会いに来たという聖書の箇所は、毎年クリスマス前に読まれる箇所として余りにも有名です。

 

坂を登る終わると、こんな形で教会が見えます。

 

教会の壁には大きなモザイクがあり、天使に守られロバに乗ってエンカレムに向かうマリアの姿が描かれています。少しわかりにくいですが、左上に小さくナザレの街が描かれています。

 

このモザイクの向かい側には、有名な「マリア讃歌(マグニフィカート)」が各国の言葉で書かれて掲示された大きな壁があります。

あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。(1章44-45節)

と語って、マリア讃歌を語ります。

 

やはり日本語があるかどうか、気になるところです。

日本語のパネルはこんな感じです。

この壁の前には、マリアとエリサベツ像が置かれています。

この壁の真向かい、教会の1階には小聖堂があり、数十人が座れる木のベンチが置かれています。

その聖堂の部屋の上部には大きな壁画があり、ザカリヤが神殿で香を焚いているところ、2歳以下の子供がローマ兵に殺されようとしているシーンなどと共に、マリアとエリサベツが出会ったところを描いたものもあります。

 

この訪問教会のさらに上の丘には、ハダッサ病院があります。エルサレムにある大きな総合病院の一つで、私も学生のときにお世話になりました。学生は無料なので歯の治療でここを訪れたことが何度かありましたが、要するに学生の「実験台」になる、ということが分かってからは、丁寧にお断りいたしました。

 

敷地内にはシャガールが制作のイスラエル十二部族を描いたステンドグラスで有名なシナゴーグがあります。12の窓にそれぞれの部族の特徴を象徴的にカラフルに描いたものです。

これ何族か分かりますか?

 

1962年の献堂式で、シャガールはこう述べています。

「ステンドグラスの窓は、私の心と世界の心をつなぐ透明な隔たりです。聖書を読むことは、ある種の光を感じること。そして、この窓はそのシンプルさと優雅さによって、その光をはっきりと示さなければなりません。この思いは、私が聖地を歩き、聖書の版画を制作する準備をしていた頃から、何年もの間、私の心の中に宿っていました。その思いは私を力づけ、何千年も前にこの地に住んでいたユダヤの人々に、私のささやかな贈り物を捧げるよう励ましてくれました。」

 

訪問教会などと共に、ここにも足を延ばしてみてはいかがでしょう?