これまで南部イスラエルから始まって、北部、中部と地域を移動しながらイスラエル各地をご案内してきました。

今回からいよいよエルサレムに入ります。

最初にオリーブ山を2回に分けてご案内いたします。

 

オリーブ山は標高815mありますが、独立した山ではなく、北側の展望山(825m)から南側の滅亡の山(747m)へと続く、連続する峰の一角を指します。

(オリーブ山全景)

オリーブ山には、イスラエルへ旅行へ行った方なら必ず行く展望台があります。ニュース映像などでもしばしば出てくる有名なスポットですが、ここに立つと谷を挟んで向かい側(西側)に、旧市街や黄金のドームを中心にエルサレムの大パノラマが広がっていて、ツアーで皆さんをお連れするといつも大きな歓声が上がります。

 

向かいの黄金のドーム周辺の平たくなった場所は「神域」と呼ばれ、標高740mほどです。オリーブ山より70mほど低いため、上から少し見下ろす形になり、特に午前中ここから旧市街を眺めると、眺める者の背後からいい具合に光が当たって、皆さんがよく目にする、美しいエルサレムのパノラマの景色を見ることができるのです。

ここからはエルサレムの旧市街と新市街、北の端にあるサムエルの墓から南はタルピヨット地区まで見渡せ、青空に、金色のドーム、白い石で覆われた建物、など本当に絵になる美しい写真が撮れます。

 

そのため、エルサレムに来た観光客は、観光の第1日目、朝一番に来る事が多く、特に8-10時ころはものすごい数の旅行客、バスやタクシー、物売りたちでごった返すことになります。まるでどこかの市場にいるかの様な賑わいになります。

人が集まれば、物売りもやってきます。物売りに扮したスリもいますので、用心が必要ですが、ここで売っている数ドルのパノラマ写真は、買って損はしません。

 

さて、オリーブ山は分水嶺でもあり、東側(旧市街と反対側)には「ユダの荒野」が広がっています。オリーブ山をピークに、海抜下を流れるヨルダン川に向かって、なだらかに落ち込んで行きます。

ただ西側とは対象的に、こちらには建物がほとんどなく、また緑もほとんど見えません。西側(地中海側)から湿気を含んだ空気がエルサレムまで昇って来る間に雨を降らせ、オリーブ山を超えると乾燥した空気となってヨルダン川へと下って行くので、降水量が極端に少なくなり荒野が出現することになります。「雨の影」と呼ばれています。(地図の赤枠の地域が「雨の影」)

                                                 

 

オリーブ山の名前の由来は、その名のごとく昔からこの山に生えるたくさんのオリーブの木があったことからです。

旧約聖書に最初にこの名が記されるのは、ダビデ王の晩年、アブサロムが反乱を起こした後、ダビデ一行がエルサレムからユダの荒野へ逃げる中でのことです。

以下の通り記されています。

 

ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った。(中略) 神を礼拝する頂上の場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えた。上着は裂け、頭に土をかぶっていた。            (サムエル記下15章30節以下)

 

今から約3000年前にすでにこの名が定着していたことが分かりますし、恐らくはもっと前からそう呼ばれていたことでしょう。

(イメージ)

よほどあわてて逃げ出したのか、ダビデは裸足で坂道をのぼりました。また、その頂上には、当時神を礼拝する場所があったことが分かります。多くの学者は、ソロモン王の時代になってエルサレムに神殿が建立される前は、オリーブ山が祈り場となっていたのではないか、と考えています。上記の「神を礼拝する頂上の場所にはダビデ王も自らの祈りの場所としてしばしば足を運んだのではないかと思われます。

(オリーブ山を下る現在の道)

なんだかオリーブ山をいつもの祈りの場所(ルカ22章39節)としておられた、イエス様と重なって映ります。

 

オリーブ山はたくさんのオリーブの木で覆われた山だったのですが、ユダヤ教の聖典タルムードなどでは、「聖なる油の山」という別称もありました。王や祭司が即位する際には頭に油を注ぐのが慣例となっていましたが、その油はこのオリーブ山から採取した実から作られる最高品質の油を使っていたからです。

(オリーブ山のたくさんのオリーブの木)

ユダヤ教の3大祭りの際には、国内、海外から多くのユダヤ人巡礼者がエルサレムを訪れていましたが、ここのオリーブ山の木々は、野宿する旅行者に格好の場所を提供してくれたようで、多くの人がここに仮の宿を設けた、と伝えられています。

紀元70年に神殿が破壊された後、神域と破壊された神殿を見下ろすことができるオリーブ山は、エルサレム市内に入れなかったユダヤ人にとっての巡礼の目的地となり、祈りと集会の場となっていたと伝えられます。

その後、神殿が崩壊したアブ月の9日には、ここオリーブ山で神殿の崩壊を嘆き悲しむという習慣も生まれました。

 

さて現代のオリーブ山の展望台に立つと、オリーブの木よりももっと目を引くのは、斜面を覆う膨大な数のお墓です。ここは世界で最も重要なユダヤ人墓地であり、考古学的な検証は別として、ダビデの息子アブサロムの墓、預言書を記したハガイ、ゼカリヤ、マラキなどの預言者の墓があり、中世から現代に至る著名な賢者の墓など、恐らく3000年に亘り多くの人々が葬られてきました。もちろん名もなき多くのユダヤ人も葬られ、ざっと15万人のお墓があると言われています。

ここは単に有名な墓地というだけでなく、

 

主の栄光は都の中から昇り、都の東にある山の上にとどまった。

エゼキエル11章23節)

その日、主は御足をもってエルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる。

ゼカリヤ14章4節)

 

など、オリーブ山は預言者エゼキエルの幻やゼカリヤの預言にも登場し、主の栄光がとどまり、死者復活の日には、そこに埋葬された人々が特別に扱われ、最初に復活すると信じられるようになりました。

 

皆さんは映画「シンドラーのリスト」をご覧になったことがあるでしょうか?

映画のエンディングで、実際に収容所から救われた方々が、彼のお墓に詣でる際、墓石の上に小石を置いていくシーンがあります。

日本人だったらお花を置きたくなるところですが、オリーブ山の墓地でも石が置かれた墓石をあちこちに見ることができます。

これは、永遠の象徴である石を置くことで故人を長く忘れないという気持ちの表明であったり、また旧約聖書の中で、石は信仰や希望と結びついて語られるからとされ、故人への敬意と記憶を保つための大切な行いとされています。

 

今回はここまで。

次回は新約聖書の時代をご案内いたします。