今回はサマリアをご紹介していきます。
現在のサマリア地区は、パレスチナ自治区となっていて、治安状況によっては行くことができなくなることもある地区ですが、とっても見所が多く、いつでも行くことができるようになって欲しい地区です。
サマリアはヘブライ語では「ショムロンשמרון(見張りの場所の意)」と呼ばれていますが、列王記上16章23~24節の
「ユダの王アサの治世第三十一年に、オムリがイスラエルの王となり、十二年間王位にあった。彼は六年間ティルツァで国を治めた後、シェメルからサマリアの山を銀2キカルで買い取り、その山に町を築いた。彼はその築いた町の名を、山の所有者であったシェメルの名にちなんでサマリア(ショムロン)と名付けた。」
から名づけられています。
列王記を読むと何度もサマリアの名前が登場し、非常に大事な町だったことが伺えます。
近くには水量の多い泉があり、近くを重要な道路が通り、天然の要塞でしたので、イスラエルの第4王朝オムリ(紀元前876~869年)によってイスラエル王国の首都となりました。
現代もそうですが、聖書の時代も周辺の国はイスラエルに敵対していました。
イスラエルに敵対するダマスコの王に対抗しようと、オムリ王は、ツロの王エテバアルの王女イゼベルを自分の息子アハブに嫁として迎えて、ツロとの同盟を強化しようとしました。
そのイゼベルが、バアルの宗教をイスラエルに持ち込むことになります。
時代は下ってヘロデ大王の時代になると、ここもローマ風の町へ整備されます。ローマ皇帝アウグストゥスのギリシャ語訳のセバストゥスにちなんで「セバスティヤ」と改名され、現在でもアラビア語ではセバスティヤと呼ばれています。
現在はセバスティヤという名前の遺跡として残っていて、サマリア見学の見どころとなっています。
紀元前27年にヘロデ大王が町を拡張し、全長4kmに及ぶ城壁を建て、列柱街道や半円形劇場を作ったものが今でも残っています。
サマリアの南東にはシケム(現在のナブルス)の町があります。シケムとはヘブライ語で「かしの木の廃墟」の意味を持ち、全カナンのほぼ中心にあったためカナン人によって「地のへそ」と呼ばれ、士師記9:37では「国の中央部」と書かれています。
ヨハネによる福音書4:3~42にイエス様がサマリアを訪れたことが書かれています。
サマリアに着いたイエス様は疲れて「ヤコブの井戸」のそばに座っておられ、そこに水を汲みに来たサマリア人の女性と「生きた水」の話をしたとされています。
町の中には「ヤコブの井戸」があり井戸の上にギリシャ正教の教会堂が建てられています。
今から10年ほど前にツアーでこの教会に行きました。
この教会の地下には、今でも水の湧いている井戸があります。
井戸のそばには井戸守の方がおられて、お願いすると水をくみ上げてくれます。
見たところ、きれいな水で井戸守の方も「生きた水だから、飲めるよ」と言っていましたが、某TV番組の「この水は死んでいますか?」と聞く芸人さんのことを思い出したりしてしまいました。
そばには売店があるので、水を汲んでくれたお礼もかねて、皆で買い物をして教会を後にしました。
ヨハネによる福音書のヤコブの井戸のそばのイエス様と女性との会話の中で、
「イエスは言われた。『婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。』」
とありますが、「この山」というのがゲリジム山です。
ゲリジム山は、シケムの高台にあり、山頂には遺跡も残っています。
サマリア人とは、紀元前721年にアッシリアによって北イスラエル王国が滅ぼされた後に、アッシリアからやってきた人たちとの間に生まれてきた人たちです。
混血してしまったため、ユダヤ人たちからは距離を置かれ、反目するようになってしまいました。
サマリア人は、モーセ五書のみを信じ、モーセを唯一の預言者としています。
申命記11章29節に神様からモーセに告げられた「あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導き入れられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山にのろいを置かなければならない。」という言葉と、後にネヘミヤがゲリジム山頂に神殿を建てたことから、「この山」がサマリア人の聖所となりました。
毎年、出エジプトの過越を記念した過越の祭が行われますが、「この山」でサマリア人は独自の過越の祭を祝います。
ゲリジム山頂からは、シケムの街を展望できます。
また、この景色を見るために、「この山」に立てる日が来ることを願っています。