「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた・・・」
ルカによる福音書24:13にこう書いてあります。
今回はこちらの聖句にある「エマオ」とエルサレムに向かう「シャアル・ハガイ」をご紹介したいと思います。
復活したイエス様が、2人の弟子に現れるエマオでの出来事が、35節まで書かれています。
このエマオは、エルサレムから60スタディオン離れていたとありますが、1スタディオンは約191mだそうなので、約11.5kmくらいの距離だったようです。
この距離からエマオがどこにあったのかを特定しようとしてきました。
ところが、北に11kmなのか、西なのか南なのか東なのかもわからないため、エマオと呼ばれるところがいくつか存在しています。
一つは西に11km行ったところにある「アブ・ゴーシュ」。
十字軍がイスラエルに駐屯していた時にここが、エマオだとした街です。
十字軍教会
ちなみにこのアブ・ゴーシュ、中東でよく食べられるひよこ豆をペースト状にした「フムス」がおいしいことで非常に有名です。
2010年の1月に4トンものフムスを作り話題になりました。
前年の2009年にレバノンが、首都ベイルートで2トンのフムスを作りギネスに乗りましたが、アブ・ゴーシュがギネスを塗り替えました。
ところが、これを聞いたレバノンは4か月後、世界一の座を奪還すべく10トンのフムスを作り、また、記録を塗り替えました。
そしてイスラエルは・・・、これ以上は何もしませんでしたので、一度に作ったフムスの量世界一の座はレバノンが所有しています。
何と平和な・・・
エルサレムの北へ約11kmのところにある、クベーバという現アラブの村もエマオといわれていて、ここにも十字軍の遺跡が発見されています。
最後の一つが、現在は「ラトゥルン」と呼ばれる場所です。
このラトゥルンは、エルサレムから30km離れていて、聖書のいう60スタディオンではなく、160スタディオンはある場所です。
なぜこんな離れたところにある場所が「エマオ」と呼ばれるようになったかというと、ヒエロニムスが翻訳したラテン語の聖書には、160スタディオンとあったため、ここもエマオとされました。
ちなみにスタディオンというのは、古代オリンピックで最初に行われた競技が1スタディオンを走って競争した単位です。
ルカによる福音書の24章の句は、口語訳の聖書では「エルサレムから7マイルばかり離れたエマオ」と書かれており、数字も単位も変わってしまっています。
ここには、5世紀のビザンチン時代に教会が建てられ、その上に十字軍時代の教会が建てられています。
現在は、教会を含めエマウス・ニコポリスという名で遺跡も公開されています。
また、近くには1890年に建てられたカトリックの「沈黙の修道院」があり、修道士の方たちは厳格な生活を送っています。
私がイスラエルに留学中、ここの修道院を訪れた時、修道士の方がどこから来たのかたずねられ、日本からだと答えると、せっかく来てくれたのだからと、一般には公開されていない修道士の方々の食堂にある、エマオでイエス様と2人の弟子が食事をしている絵を見せてくださいました。
忘れられない思い出です。
このラトゥルンは、交通の要衝でありエルサレムへ続く道が古代よりありました。
ラトゥルンからエルサレムへ向かっていくと、前述のアブ・ゴーシュの手前にシャアル・ハガイと呼ばれるところがあります。
シャアルとは門、ハガイとは谷の意で、その名の通り「谷の門」で、西からエルサレムに向かうには、必ず、この門を通らねばなりませんでした。
古くは、ソロモン王がエルサレム神殿に使う香柏をレバノンから購入した時に、船でヨッパの港まで運ばれ、このシャアル・ハガイを通ってエルサレムまで運ばれたとされています。
現代では1948年の独立戦争の時に、アラブ軍とイスラエル軍の戦闘がエルサレムに続く道のシャアル・ハガイで激しくなり、たくさんの犠牲を出しました。
谷の門を通る細かい道で以下の写真のような装甲車ではスピードを出せず、上からのかっこうの標的となってしまいました。
そのため、物資の供給ができなくなってしまい、エルサレムは孤立してしまいました。
激しい戦闘の後、シャアル・ハガイを迂回するビルマ街道という道をイスラエルは作り、補給路を確保して、エルサレムの一部を奪還することができました。
エルサレムと空港を結ぶ道であるためこの道を通る事がよくあります。
バスの車窓から道の左右を見ていると独立戦争の時に使われた装甲車などの残骸が見られますが、残骸なのにキレイにペイントされています。
これは、独立戦争の時に激戦となりたくさんの人の命が失われたが、この戦いのおかげで独立を勝ち取ったことを忘れてはならないと、毎年の独立記念日を迎える前に、イスラエルの小学生が装甲車にペンキを塗り直しに来ます。
記憶の民と呼ばれる所以がこんなところにもみる事ができます。
もうすぐ、戦争状態が始まって1年が経とうとしているイスラエル。
1日も早く平安になりますように祈らされます。