これまでに、ベテシャン、ギルボア山、メギドなどエズレル平原の様々な名所をご紹介してきました。エズレル平原はイスラエル最大の穀倉地帯と言われ、広大な土地ですので、今回はまだ紹介しきれていない場所を案内いたします。
1)タボール山
イスラエルでは少し珍しい単体の山です。標高590mほどですが、日本人にはお椀を伏せたような形をしていると分かりやすく説明できる山です。
(タボール山)
タボール山のすぐ近くにはナザレの町があり、またモレの丘、アフラなどもあります。
聖書にも何度も登場しますが、特に有名なのは、旧約聖書の士師記4、5章に描かれている戦いです。
そこには、カナン人の将軍シセラが鉄の戦車900両を所持し、20年もの間イスラエルをしえたげていたことから、イスラエルの将軍バラクが女預言者デボラの助けをえて立ち上がり戦いに挑みました。馬を使った戦車という見た目では決して敵うことができない相手に対し、イスラエル軍は歩兵のみで戦いました。その結果、エズレル平原にはキション川という激しく流れていた川があって戦車が役立たなくなったのか、逆に歩兵のほうが有利となり、勝利につながりました。
“キションの川は彼らを押し流した、激しく流れる川、キションの川。”(士師記5:21)
この聖書の箇所そのままの戦いが20世紀初頭にありました。
1917年まではオスマントルコがイスラエルを治めていましたが、第1次世界大戦が始まってから、トルコ軍とイギリス軍がこのエズレル平原で戦っています。その際、イギリスはバラクとデボラがシセラに対して戦った方法を実践し、トルコ軍を打ち破ることができました。
のちにイギリスがパレスチナを国際連盟からの委任で統治する時代へ変わっていくきっかけになった戦いの一つでした。
また、もう一つ聖書で有名な箇所があります。
“六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。” (マタイによる福音書17章1~2)
(イエスの変容の様子を描いたモザイク画)
諸説ありますが、この「高い山」がタボール山と考えられ、現在ではカトリックのフランシスコ修道会の「主のご変容の教会」とギリシャ正教の会堂がそれぞれ山頂に建てられています。
(主のご変容の教会)
これらの教会へは舗装された道路があるので車で行くことは可能ですが、とても狭い道なので、大きなバスでは上ることができません。
そのため、徒歩で登るか、または山の麓から乗り合いタクシーを利用するか、ということになります。
私も何度かこの乗り合いタクシーに乗って、山頂へ上ったことがありますが、いつも遊園地のちょっとしたジェットコースターのアトラクションに乗った気分になったことを思い出します。というのも、ヘアピンカーブが何度も続くような山道で、結構なスピードで上り下りしますし、対向車とすれ違う際もかなりスレスレな感じです。
言い方を変えれば、熟練されたドライバーによる数分間のタボール山への試乗体験ですね。
山頂からはナザレをはじめ、エズレル平原、モレの丘、アフラの町などが眼下に一望できます。また東側にはヨルダンなど、素晴らしい景色を見ることができます。
是非、ジェットコースターに乗った気分を味わえる山頂へのタクシー、山の上から見られる景色を堪能してみてください。
2)ベイトアルファ
以前ご紹介したギルボア山の麓には、1920年代から30年代にかけて、ユダヤ人帰還者により開拓されたキブツという農業共同体がいくつか点在しています。
そのうちの一つ、キブツ・ヘフチバは私が初めて訪れて、約6か月過ごした場所です。そのキブツ内にウルパンと呼ばれるヘブライ語の教室があります。イスラエルへ帰還してきたばかりのユダヤ人が少しでも早くイスラエル社会に溶け込めるようにと、移民省が積極的に公用語であるヘブライ語を短期間で習得できるウルパンをイスラエル全国に点在するキブツ内に設けていました。ところが、今は帰還者の数も減少しているため、キブツにあるウルパンの数は指で数えるほどとなってしまいました。
私もこのキブツでヘブライ語を学び、そしてボランティアとして様々な労働をしました。
大食堂の食器洗い、パイプ工場での作業、水道メーターの再生工場での塗装やクリーン作業など。当時19歳で何も分からない私に対し、キブツの方々が家族のように接してくださいました。里親として迎え入れてくださった夫妻のお宅には、毎日のように通い続けて、習いたてのヘブライ語の単語を組み合わせて、たどたどしい会話をしました。その都度出してくださる美味しいケーキをいただいて1時間くらい過ごしてから自分の寮へ戻っていく、そんな日々を過ごしたことはよく覚えています。
今もイスラエルへ行くときには必ず連絡をするくらいの関係になりました。
このキブツの入口付近には、古代のシナゴーグ跡があります。
キブツ・ヘフチバは、1922年に建設されましたが、1928年になって工事現場から紀元6世紀のシナゴーグのモザイク床が偶然に発見されました。
このモザイクは3つの構成となっています。神殿の至聖所の様子や12星座、アブラハムによるイサクの燔祭です。
(ベイトアルファ・シナゴーグ)
モザイクそのものは少々稚拙な感じがします。その理由の一つにモザイク職人への報酬によって、手間のかけ具合が決まったとされるようです。この付近に住んでいた人たちの予算に合わせて作られたのではないかと言われています。
そんな古代シナゴーグも、イスラエルの国立公園の一つに数えられ、キブツヘフチバの隣にある、キブツ・ベイトアルファの名前から、「ベイトアルファ・シナゴーグ」と呼ばれています。今でも国内外から多くの観光客が訪れてくる人気の場所です。
エズレル平原は、旧新約聖書の舞台やイスラエル特有のキブツなど、とても見どころが多く、自然も豊かでどこか日本の風景を思い出させてくれるような場所でもあります。
聖書に登場する人物が駆け巡った足跡が残り、また現代のイスラエルを感じることができる平原を是非訪れ見てください。