イスラエル南部編・第2弾は、聖書には登場しませんが、現代イスラエルにとって重要な場所をご紹介したいと思います。

 

スデーボケルは、ベエルシェバの町から南へ約40km行ったところにあるキブツ※です。

キブツ・スデーボケルは、1952年に兵役を終えた青年たちが入植し建設したキブツで、もともと牧場のあったところだったので、「牛の野」の意味をもった名前を付けました。

ただ、まわりはネゲブと呼ばれる荒涼とした荒野です。

                                  キブツ・スデーボケルのサイトより

 

 

イスラエルの初代首相ダヴィッド・ベングリオンは、イスラエル南端の町エイラットからの帰路、この場所を通り、ネゲブの荒野の中にポツンとある小さな家を見つけます。

ベングリオンは車を止めさせ、「こんな何もないところで何をやっているのか」と若者たちに聞くと、彼らは「ここにキブツを建て、緑の野にする」と夢を語ります。

ベングリオンは、イスラエルの国土の60%を占める荒野の開拓なくしてイスラエルに未来はない、と考えていたので、この若者たちの語る夢に感動し、1953年末に首相の座を辞し、ここに移住しました。

 

首相時代のベングリオンからは、考えられないほどの笑顔で、生まれたばかりの子牛にミルクを与える写真は、絵葉書にもなっています。

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※キブツとは、集団・団体を意味する言葉から派生した共同体をさす言葉で、20世紀初頭からイスラエルの開拓に合わせて次々と建設され、イスラエル全国に点在しています。集団農場と呼ばれたりしています。

 

キブツ内にはベングリンが住んだ家が今も残っており、記念館として公開されています。ネゲブの開拓史の資料やベングリオン夫妻が使用した家具、約5000冊ほどの蔵書のある書斎などを見学できます。

蔵書をよ~く見ていると「ZEN」と英語で書かれた「禅」の本があることがわかります。

ちなみにテルアビブにもベングリオンの家は残っていて、そちらには2万冊以上の本があります!

 

 

ダヴィッド・ベングリオンと奥さんのポーラのお墓は、このキブツからさらに南に3kmほど行ったところ、雄大なツィンの荒野を見下ろせる高台にあります。

イスラエルの歴代の首相のお墓は、エルサレムにあるヘルツェルの丘と呼ばれる国立の墓地にあるのが普通ですが、ベングリオンはこの場所に自らの墓所を求めました。

 

墓所を決めるのにこんなエピソードもあります。

候補地をベングリオンの秘書と息子の3人で選んでいるとき、ベングリオンはこの場所を気に入りました。息子のアモスは、「首相まで務めたお父さんの葬儀には世界各地から弔問に訪れるでしょう。こんなところではなく、エルサレムにしたらどうですか?」と反対しますが、ベングリオンは聞き入れません。そんなやり取りが2~3回あった後に、ベングリオンが「だいたい、ここに入るのは、お前か? オレか?」の一言で最終的に決まったとか。

 

1973年に亡くなったベングリオンの遺体は、エルサレムの国会に安置され、たくさんの市民が別れを告げに来ました。その後、この場所に運ばれ埋葬されました。

 

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ポーラ・ベングリオンの墓              ダヴィッド・ベングリオンの墓

 

ベングリオンのお墓には、1886~1973 1906と年号が記されています。

奥さんのポーラのお墓には、1892~1968 1919と記されています。

 

ベングリオンは1886年にポーランドで生まれ、1973年にイスラエルで亡くなりました。

生まれた年「1886」と亡くなった年「1973」は分かりますが、この「1906」は何かというと、イスラエルに帰還してきた年で、この年が墓碑に刻まれています。

 

ここのお墓は、広大な荒野の中にあり、早朝や夕暮れ時になると、大きなアイベックスが姿を現します。

また日の出や日没になると、周りの荒野の色が赤く染まっていく様は神秘的な感じさえ覚えるほどです。

 

高校で農業を勉強していた私は、イスラエルで聖書と農業を勉強したいと願って留学しました。

ベングリオンに興味を持っていて、留学して1年半たった頃にこのキブツでボランティアをしました。


周囲は荒涼とした荒野ですが、水を吸い込んでしまう「砂漠」ではなく、水さえあれば食物の育つ「土漠」ですので、農業も盛んなキブツでした。

緑と茶色のコントラストがすごいので、人の手が入っているところはすぐにわかります。

 

キブツではいろいろな仕事をしましたが、農業に関する仕事が多かったです。

あるときは、「今日は、ジャガイモの収穫をする」といわれ、教えてもらった畑に着くと、とてつもなく広いジャガイモ畑で、「今日の仕事は重労働だな」と気合を入れて仕事に臨んだところ、後からやってきたと大きなトラクターに一緒に乗って簡単な機械操作をするだけという、なんとも拍子抜けだったことがあります。

 

また、大規模の肉用の鶏を飼っている鶏小屋でも働きました。

鶏はユダヤ教の食事規定に反していないので、全イスラエルで食されます。

鳥目のため暗いうちはあまり目が見えないので、早朝4時頃から出荷作業がありました。

大きく育った鶏だけ出荷するというので、1羽ずつ計量していくのかと思ったら、鶏舎に大きな機械が入ってきて、カタカナの「ル」のような型のフックがベルトコンベアで回ってきて、次々と鶏の足をこのフックに引っ掛けていきます。

すると、あるポイントで計量されて軽いと、また鶏舎に放され、基準の重さに達しているとゲージに入れられ出荷されるシステムでした。

衛生面でも管理されていて、鶏舎に入るときと、出る時にはシャワーを浴び、清楚な労働専用の服に着替えさせられました。下着まで着替えないといけなくて、もちろん洗濯はされていますが、だれが履いたのかわからないパンツを履くのは、少々抵抗がありました・・・

 

仕事が始まる前や終わった後には、前述のベングリオン夫妻のお墓のあるところに行って、大自然を見ながら聖書を読み、神様に祈っていました。

勉強を続けたいという思いもありましたが、なお、最善は何かと導きを祈っていました。

その中で、日本に帰国しイスラエルと関係のある仕事をしたいという思いが強くなり、帰国後、テマサトラベルに入社し、今があります。