今回は、ギリシア、キプロスに続いて使徒言行録の舞台となった、マルタ島をご案内したいと思います。

 

マルタ島はイタリアシチリア島の南に位置し、面積は316km2東京23区の半分!)という小さな島ですが、れっきとした「マルタ共和国」という独立した国です。地中海のほぼ中央にありアフリカ大陸にも近いため、ローマ時代以降地中海を行き来する船の中継地点として繁栄しました。

次々と支配者が変わっていきましたが、中でも重要な人物は神聖ローマ皇帝カール5世で、1530年にマルタ島を聖ヨハネ騎士団に譲渡しました。ここから260年にわたるヨハネ騎士団の支配が始まり、現在のマルタの街の基礎がつくられます。

マルタは、東西冷戦の終結を告げる歴史的な「マルタ会談」の舞台となったことでも有名です。1989年12月3日ミハイル・ゴルバチョフ氏とジョージ・ブッシュ氏のふたりが米ソ首脳会談をおこない、戦後44年間続いた冷戦の幕引きを世界にアピールしました。

 

さてマルタ島は、使徒言行録に伝えられるパウロ一行が乗る船が難破して、漂着した島として有名です。パウロはエルサレムで捕らえられて、カイザリアで約2年幽閉され、裁判を受けます。そして最終的に、パウロの希望でローマ皇帝に上訴するためローマへ行くことになりました。

使徒言行録を読みますと、

長い時が経過し、断食期も過ぎてしまい、すでに航海が危険な季節になったので、パウロは人々に警告して言った、「皆さん、わたしの見るところでは、この航海では、積荷や船体ばかりでなく、われわれの生命にも、危害と大きな損失が及ぶであろう」。しかし百卒長は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼した。なお、この港は冬を過ごすのに適しないので、-中略- クレテのピニクス港に行って、そこで冬を過ごしたいと主張した。」

「断食」とはユダヤ教の大贖罪日のことを指し、年によって変わりますが、だいたい10月初旬から中旬にかけてのころ。また「航海が危険な時期」とありますが、地中海沿岸地域では10月末にもなると約半年つづいた乾期が終わり、雨期が始まります。雨期は荒天になることも多く航海に適さない時期になりますが、特にその初期、真っ黒な雲が沸き起こり、強い風が吹いて雨をもたらします。特に最初の雨は、矢を射るような鋭い激しい雨が降ることから、ヘブライ語で「ヨレー(射る)」、と呼ばれるほどです。

冬(=雨期)を過ごすのにもう少しいい場所(=上陸して数ヶ月過ごす事ができる施設が整った港町)でと考えている時に、ほど良い南風が吹いて来たので「良き港」を出港するのですが、その途端暴風雨になり、船は地中海を2週間漂流することになります。

 

漂流後、到着したのがマルタ島でした。


マルタ島の北部に「聖パウロ湾」と呼ばれる湾がありますが、一行はここに着いたと言われています。下の写真はパウロ湾に浮かぶ小島で、ここが漂着したところと言われています。

事件の流れを追ってみると、仮に11月のはじめに漂流し始めたとして、14日間(27章27節)経って11月半ばにマルタ島へ着いたこととなります。3ヶ月間滞在(28章11節)したので2月半ば頃には目的地ローマへ向かって出帆し、3週間ほどかけて(28章12~13節)ローマへ着きました。

パウロ一行は3月初旬ころローマへ着いた事になります。

まだ、風は冷たく雨も残る時期ですが、イアリア南部はすでに春を迎えようとしている時期で、花も咲きはじめ、昼間歩くのにはいい時期だと思います。季節感が分かると、記事が少し読みやすくなり、読み手の想像を掻き立ててくれますが、いかがでしょうか?

 

マルタ島にいた3ヶ月間のあいだ、パウロたちがどこにいたかハッキリとした証拠があるわけではありませんが、島の中心部にラバトという古い街があり、ここの「聖パウロ教会」の地下に
は、ここにパウロが住んだとされる洞窟があります。

 

街の城門のレリーフです。真ん中に立つパウロの左手に、マムシが噛み付いている様子(使徒言行録28:3-6)を描いたレリーフです。

 

町の中には、クリスチャンを葬ったカタコンベ(地下墓地)もあります。

 

さて、マルタ島の中で中心的な最も有名な町はヴァレッタでしょう。

冒頭マルタ島が1530年にヨハネ騎士団へ譲渡されたと述べましたが、その後、地中海へ覇権をのばしつつあったオスマントルコ軍に目をつけられ、1565年大軍に取り囲まれることとなりました(グレートシージ「大包囲戦」)。4万人の兵士と大艦隊に取り囲まれましたが、迎え撃つヨハネ騎士団と地元の兵士は約8000人。マルタ島は何とか持ちこたえることができましたが、この経験から現在のヴェレッタは難攻不落の都市となるよう建設されました。この時活躍し町の防衛に尽くしたのがたのが、当時のマルタ騎士団(ヨハネ騎士団)長
でもあったジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットで、町の名前もここから来ています。

 

要塞として完成したヴァレッタには、1577年騎士団の名前の由来となった聖ヨハネのための大聖堂が建設されました。中は絢爛豪華で、金の装飾が至るところに使われ、当時の繁栄ぶりが偲ばれますが、中でも必見は教会所属の美術館。有名な画家カラヴァッジョの作品が数点収められています。彼は殺人を犯して逃げるようにマルタに来たと伝えられていますが、展示されている「聖ヒエロニムス」「洗礼者ヨハネの斬首」など有名な作品がありますので、マルタへお越しの際はぜひご覧ください。

 

このマルタ騎士団の印に使われていたのが、十字架の四隅が広がった形をした「マルタ十字」と呼ばれる特別な十字架です。マルタ航空の尾翼をはじめ、マルタを象徴するモチーフとしていろいろなところでお目にかかります。お土産物屋さんに入ると、この十字架の形のペンダントヘッドなどがたくさん売られていますので、記念におひとついかがでしょうか?

 

 

さて、マルタ島の歴史順からすると、最初に取り上げるべきだったかもしれませんが、この島には今から6000~4000年前に建てられて大きな神殿跡が30箇所で発見されています。弊社のツアーでは、ジュガンティーヤ神殿(ゴゾ島)やハジャーイム神殿などを訪れますが、それを含めて、6つの神殿が「マルタの巨石神殿群」の名称で世界遺産に登録されています。人類最古の石造建築物と言われています。

いわゆる巨石文化の一つですが、新石器時代、つまりまだ青銅器も鉄器もなく、石しか道具として利用していない時代に、誰が、どのような方法でこのような石を切り出し、運び積み上げたのか。女神信仰のための神殿だろうと推測されていますが、わからないこともたくさんある遺跡です。

 

 

想像を掻き立ててくれる遺跡で、なんとも歴史のロマンを感じさせてくれます。

 

聖書の舞台でもあり、人類最古の石造建築物から東西冷戦の終結を告げる会議まで、魅力いっぱいのマルタ島。みな様もぜひ一度どうぞ。