一昨年の暮れ実母の乳がんが判明
去年の年明け早々、除去手術をしました。

手術は成功。もともとステージⅠ(初期)の後半
Ⅱまでは行ってないよって事だったので
あまり心配はしてませんでした

この手術の翌日、自宅に帰ると

満面の笑顔で姑がいいました


『取り出した患部(癌の所)見せてもッた?』



実母の病気のことについて
近所のおばちゃん同士みたいな反応を私にされても困ります・・・

非常に気分の悪い思いをしました・・・


この後もなぜ乳がんを発見できたのかなど根掘り葉掘り聞かれ
とても嫌な思いをしました。

その後、実家からお見舞いのお返しについて相談された時

『むかついてるから、さっさと返してしまって!』

と、快気祝い退院後2ヶ月と言う早業で配達させました


このとき義両親、口をそろえて


『癌の時は快気祝いなんてしないものだ!』

と、私に抗議してきました。親のしたことやから知らないです!ッて
無視したけど・・・



術後3ヵ月ほどたった頃、実父の運転する車で
孫を迎えに来た実母に対し

家の中から慌てて飛び出してきた姑


『もういいの?元気そうやね!』

そしてまた根掘り葉掘り聞き出した

実母も失礼だとかなり怒ってました・・・



こんな出来事の後、今度は去年の秋の終わり
姑の癌発見・・・大腸がんの中期(ステージⅢの後半)でした



鬼嫁な私は実母が姑から言われた事に対する
しっぺ返しだ!と思いました


同居しているうえに旦那の姉は仕事を持っている・・・
入院した病院は姉の家から徒歩2分とはいえ
お世話をするのは私だね・・・(毎日家に居るし・・・)と思い


手術までの1週間、毎日 病院に顔を出しました。
その結果(手術前日)姑に投げかけられた言葉は・・・

『旦那(舅)はあんた(姑)はぐぅちゃんに世話になるんだから
入院前に頭を下げてから行けっていてったけど
私は別にぐぅちゃんに世話にはならない。世話になるのは旦那(舅)だ』


と、姑と、私、姑の実姉が話してるとき言い出した・・・




引きつる顔を必死で笑顔に変えながら涙が出そうになりました
私が毎日顔を出してたのはなんだったんだろう・・・
そうだよね・・・毎日汚れ物取りに行ってたのに
いつもより行く時間が遅くなっただけで
姑・・・汚れもの(フェイスタオル3枚ほど)を姪っ子に持ち帰って洗ってもらってたっけ・・・




手術後、最初の診断より進行していた事を
知ったけど何も思わなかった・・・

お世話にはならないってどう言う意味だったんだろう・・・
旦那の姉が毎日お見舞いに行ってたのは聞いているが
汚れ物(洗濯)担当は私だったわけだし


でも、お世話にならないって言葉をそのまま解釈したら

私が汚れ物を取りに病院に顔を出すのが迷惑だったのか?
私が勝手に世話を焼いてただけだと言いたかったのか?
舅が毎日病院へ行ってたので確かに
私が毎日病院へ汚れ物を取りに行かなくても
用事は済む・・・

今後、もし、再発、再度入院ってなったとき
私は同行どうしていいのか正直考えてしまう


私が病院に通う事に感謝しろとは思わないが
当然だとも、思わないでほしい・・・


そう思う以上、私は旦那が行くときに一緒にいって
顔をあわせるだけでいいのかな・・・

汚れ物の持ち帰りは舅に一任してね・・・



術後半年を過ぎ色々検査を受ける日々を過ごしている姑
検査に行くことも結果も私達夫婦の耳には入ってきません

まあ、何も言ってこないということは
今のとこ順調だと言うことなんだろうけど・・・