トンビが鷹を産む?
産みます。
トンビが子に鷹を期待するのは間違い?
いや、間違いじゃない。
ただ、
トンビから生まれたトンビのままでいたいトンビの子を無理やり鷹にしようとするのは?
よくない。
トンビから生まれたトンビの子を鷹だと思い込ませて、育てるのは?
場合によります。
「パパはパパができないことを私にやらせようとするよね?」
「うん、するよ」
「なんで?」
「だってさ〜。パパは絵が下手だけどテンちゃんは絵が上手いじゃん。パパは数学できないけど、テンちゃんはできるじゃん。だから」
「だから?」
「いや〜。これはもしかして、大物になるかもしれんって思うやん」
「でも、ママは自分ができないことを私にやらせようとはしないよ。ねえ、ママ」
ママ「私はそんなことしないよ。自分にできないんだもん。子供にやれって言えないじゃん」
「ほら」
「ほら?何が?」
「自分にできないことを普通の人は人にやれって言わないもんだよ」
「え?でも、スポーツでも金メダリストのコーチがみな金メダリストってことないじゃん。だから関係ないじゃん」
「あ?そだね」
「パパからあれやれ、これやれって言われても嫌じゃないでしょ?」
「別に嫌じゃない」
「だったらいいじゃん。やりたくなかったらやらなきゃいいんだし」
「え?やらなくてもいいの?」
「いいよ」
「え?そうなの?」
「やれっていうのはパパの意思。あと、やるかやらないかは自分の意思だよ。トンビが鷹になれるかどうかは、トンビが鷹になりたいと思うかどうか。なりたいと思っているなら、最大限のサポートはやれと言った手前やりますよ。そういうこと」
「ああ、そういうことね」
「例えトンビであっても、実は鷹になれる素質のある部分は必ずあるんだよ。それを見つけてあげるのが親の務めだよ。パパがテンちゃんにやれと言ったことは、鷹の素質があると思っていることだからだよ」
「それ、合ってるの?」
「合ってるかどうかはやってみないとわからんよね。思っても外れることなんていくらでもある」
「無責任だな〜」
「親なんて無責任なもんだよ。だから、やるかやらないかは自分で決めればいい」
「やらないで叱った事もあるじゃん」
「それについては謝る」
「え?謝るの?」
「うん。ごめん。私も若かった」
「なんだかな〜」
「だから、親なんていい加減なんだって」
「うん。この歳になるとよくわかるよ」
「わかる歳になってくれて、私は嬉しいよ」
そりゃね、親なんてある意味、無責任なもんです。
その無責任さをちゃんと自覚する事も親には大切な事です。
無責任さ、自分勝手なところも分かった上で、子供にやらせている部分も当然あるわけです。
よくないですよ、もちろん。
よくないけれど、それが良い結果を生む事もある。
それが子供の見えざるポテンシャルってやつで、
やらせてみたら凄かった。
なんてことは、子供に限っていくらでもあるわけです。
「子供は実は鷹だったんだよ。間違えて俺に所に来ちゃったんだよ」
なんてことがある。
だからと言ってそればかり追ってはいけませんけど。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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