『箸の持ち方--人間の価値はどこで決まるのか? 』 | 適菜収オフィシャルブログ
2014-02-06 19:42:38

『箸の持ち方--人間の価値はどこで決まるのか? 』

テーマ:ブログ
新刊のご紹介。『箸の持ち方』です。






はじめに 箸とゲーテ

 人間の価値はどこで決まるのか?
 私は箸の持ち方で決まると思っております。

 「じゃあ、箸をきちんと持てない人間は全員ダメなのか?」
 「フォークとナイフしか使わない西欧人はどうなるのか?」
 「そもそも正しい箸の持ち方なんて誰が決めたんだ?」
 「じゃあ、お前はそれほど立派に箸を使えるのか?」
 「お前は食事マナーの専門家でもなんでもないだろう」
 「箸なんか自由に使えばいいじゃないか」
 「箸を正しく使える悪人など山ほどいる」
 「肩肘張らずおいしく食べられればいいのよ」

 いろいろ反発の声が聞こえてきそうですが、私が言いたいことは「なぜ箸をきちんと持たなければならないのか」「箸をきちんと持つというのはどういうことなのか」といった精神に関わる問題です。
 箸の正しい使い方は厳然と存在します。
 これは美の側面からも科学の側面からも説明することができる。
 つまり、正しい箸の持ち方には合理的根拠がある。
 しかし、それだけではない。
 合理的根拠があるのはそのとおりですが、それ以上の意味がある。
 「箸の使い方なんてどうでもいい」という人がいてもかまいません。
 そういう人は、そういう世界の住人です。
 人間よりも犬猫に近い。
 一方、人間は文明とかかわって生きています。
 よって、箸をきちんと持つことの背後には、文明があり思想がある。
 現代人は自意識過剰で、根拠のない自信をもち、万能感に浸っています。 
 だから素直に本当のことを認めることができない。
 ワイドショーに感化された無知な主婦が有能な学者を小バカにするのが日常の風景です。
 理論や理屈ばかりが横行する世の中では、きちんと箸を持つことの意味あいが見えにくくなっている。「箸の使い方よりも大切なことはたくさんある」「型にはめるのではなく、もっと自由を尊重したほうがいい」というわけです。
 だけど、そんなことはないということを、最初にはっきり言っておきます。
 あらゆる文明はすでに存在する型を継承することで成立します。
 子供が言葉を覚えるのも同じ。
 将棋だって最初に型を覚えます。棒銀で攻めるにせよ、矢倉で守るにせよ、定跡はほぼ決まっている。いきなり角の上の歩を上げたりはしません。実際の戦争も同じです。
 身体に叩き込んだ後に、理解できることがある。
 黙って導かれないと見えないものがあります。
 この順番を間違えると、いつまでも犬猫のままです。
 三島由紀夫は次のように述べています。

 ゲーテの文体は、一例が「親和力」といふ小説を読めばわかるやうに、一見退屈な流れをもちながら、大波のやうにうねつて、ゆっくりと思想を展開していきます。われわれははじめ退屈しながらその小説に入つていきますが、次第に眼界が開けると遠い森や村落や、陽のあたつた湖や牧場が眼の前にあらはれて、広大な作品世界が彼の悠々たる筆によつて実現されてきます。彼は決して短篇作家の文章のやうに、道端の小さい野の花や、昆虫の姿態などに目をとめることもなく、悠々と山道を登って行つて、大きい展望の見晴らせるところまで読者を連れて行くのであります。(「文章読本」)

 山の頂上からしか見えない景色があります。
 箸をきちんと持つことで見えてくる世界もある。
 本書では、箸の持ち方と「世界」の関係について述べていきます。

 
  適菜収



 『箸の持ち方』はじめにより。













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