安倍元首相銃撃事件の背景として政治家と統一教会との関係が明るみに出るにつれ、日本政治の基盤が哲学的、或いは倫理的にあまりにも遠く離れた地平で動いてきた事が日ごとに明らかになりつつある。

 

まるで安倍時代の都合の悪い真実は隠すという重しの蓋が取れ、権力におもねる必要が無くなった状況のごとく百花繚乱、百家争鳴である。

隠し事が無くなれば、今後も国民が驚くような政治家稼業の実体としての多くの真実が明らかにされることだろう。

 

ところで、茂木自民党幹事長が「党としては何も関係ない」として自民党は相変わらず頬被りする姿勢である。

昨日、ようやく言葉を発した岸田首相も「社会的に問題になっている団体」の認識を持ちながら「関係した議員は国民には丁寧に説明を」と言うのみである。

関係している現職閣僚は、荻生田経産大臣、末松文科大臣、二之湯国家公安委員長、岸防衛大臣・・・そのほか与野党を含め100名近い国会議員が何らかの接点を持っていたことが明るみに出ているのに、こんな程度の対応であっていいのか。

 

国会議員の説明を聞いていると、悪びれて謝罪する内容を持つ国会議員は一人としていない。

「統一教会」の名前では世間を渡れなくなった教団が名前の変更を画策したが、当時の文科省は「内容が同じ」だからと18年間、変更を認めなかった。

それが安倍政権になり下村文科相時代に認可となった。

18年間の門前払いの行政を変えた理由は何なのか…。

 

共産党が当時の経緯を明らかにすべく「情報公開」を請求したら、財務省の公文書改ざん事件の二の舞ではないが、文科省も黒塗りの情報公開をした。

権力が都合の悪いことをした時は、国民に知らさない…。

こんなことで民主主義が成り立つのか…。

 

ところでこの政治家たちの姿勢を見ていて私が一番不安に思うことは、保守を歌いながらほとんど保守の哲学を政治に感じさせないことである。

 

「美しい国」ではないが、政治家に国民に対する潔さが全く見られない。

つまり、国民に対して余りの「無責任さ」を露出している。

つまり、「醜い」のである。

「国民を舐め切っている」のではないかと思いたくなる・・・。

 

「統一教会」問題は、今から半世紀前、すでに私の青年時代からあった。

私は保守系の社会団体に所属し社会活動をしていたが、ある日、仲間の一人が「日本の祖国は韓国」「天皇のルーツは朝鮮」などと、訳の分からないことを言うようになった。

聞けば「統一教会」の教えや「原理公論研究会」で学んだという。

家族から「息子が統一教会に入り困っている」と言う話も聞き、何度も話し合ったが洗脳された彼には我々の話を全く通じなかった。

 

60年代の日本には、少なからず共産化されかねない雰囲気もあり、その波に乗って「勝共連合」運動も盛んだったが、我々は「祖国朝鮮」などと言う教えにある「統一教会」の配下にある「勝共連合」を信ずることはなかった。

 

固より、「霊感商法」も「高額寄付」も「洗脳」も当時から指摘され、問題となっていた。

 

今度の出来事で改めて「統一教会」が名前を変えてゾンビならぬ現役で存在していたことにビックリしている。

この反日で反社的な教団の延命策に日本の首相や閣僚が関係していたことには、私は二度ビックリし、衝撃さえ受けている。

 

知らぬ、存ぜぬという政治家もいるが、それは嘘だろう。

事務所にスパイにでも入られたら秘密が筒抜けになってしまう…。

それを避けるために政治家周辺の身元確認は普通以上に神経を使っているはずである.

 

今の自民党は、事件があっても国民の為に責任を取るという責任感も気概もない。

品なく言えば、高給を保証された政治稼業の維持だけが自己目的化した腐りきったリーダーたちである。

社会問題などは二の次である。

 

そんな実態にあっても自民党が勝利する現実…。

政治家が国民を舐めるのも致し方ないか…とも思えたりする嫌な昨今である。