気づける力 | 焦らずとも何はともあれの今日

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なんてことない毎日の足跡を残していこうと思っています。少しずつ変わっていく自分、         とりまく環境の変化、日常、恋愛、趣味など多岐にわたる記録です。

ぬこ2
今回は洞察力と気遣いについて、です。

「洞察」という言葉を辞書で調べたら「鋭い観察力で物事を見通すこと。また見抜くこと。」と書いてありました。要するに「気づける力」ですね。これは普段の生活の中でかなり重要になってくる能力だと思います。恋愛にしても社会にしても。

洞察力というものは、意識して鍛えれば誰でも向上すると思います。慣れないうちは疲れますが。観察するのには集中力もいりますしね。非常に頭を使います。

気遣いについてですが、自分で考えうる気遣いというものには限界があります。人それぞれ価値観も違いますし。しかしそれを補うのが「してもらった」という経験です。自分よりも気が利く人から実際にしてもらうことで初めて気づくこともあるでしょう。「こういう気の遣い方もあるんだぁ」とね。当然ここでも洞察力は必要です。

そしたら次にそのシチュエーションに遭遇した時、してもらう嬉しさを知っているため、してあげようという気持ちになるはずです。こうして気が利く人になっていくのだと思います。

年を重ねた人はこの経験が豊富です。なので年上の方と付き合うことが多い人は、自然とそういう経験が多くなり、いろんなことに気づける人間になっていくでしょう。「気が利く人」になるには「高いレベルの洞察力」が必要です。

ちなみに僕は元カノと付き合って間もないころは「気が利く人」とはかけ離れた遠いところにいる人間でした。しかしそれによって元カノから厳しく指摘を受け、気が利く人になるために洞察力を鍛えました。ただし恋愛に関してはそれだけではダメでした。「優しさを履き違えている」とはこの事ですね。

高い洞察力をもっていろんなことに気づいたとしても、それを片っ端から実行してはいけません。「優しさの意味」の記事でも述べましたが、物事には節度というものがあります。あくまでも「気づく」ことが大事です。そしていざという時、それをやってあげるのが本当に「気が利く人」または「優しい人」だと僕は思います。

そういう意味でも元カノには感謝しています。いろいろ悩まされましたから。おかげで得たものは多いです。実際、優しさや気遣いについてのこういった結論は早い段階で出ており、それを実践することでケンカもなくうまくいっていました。向こうに好きな人が出来るまでは(;´д⊂)

話は変わりますが、そうして得た洞察力のせいなのでしょうか。元カノの今の彼氏が特定できました。ヒントは元カノのちょっとした言動と態度です。本人は気づいていないのでしょうが。

おもいっきり僕とタメです。そして知り合いでした。人間って怖い生き物ですね。全部が全部そうではないでしょうが。一途な僕としては理解に苦しみます。