優しさの意味 | 焦らずとも何はともあれの今日

焦らずとも何はともあれの今日

なんてことない毎日の足跡を残していこうと思っています。少しずつ変わっていく自分、         とりまく環境の変化、日常、恋愛、趣味など多岐にわたる記録です。

ぶれーめん
どうも。考えるのが大好きなまぁです。今回は「優しさ」について考えたいと思います。

僕は元カノに「まぁは優しすぎる」と言われたことがあります。以前も書きましたねこれ。実はこれ以外にも言われたことがあります。「優しさを履き違えている」と。「気遣い」と「優しさ」は違います。少し哲学的になってしまいますが、非常に難しい問題です。

例えば、子供をしかるという行為。これは「いけないことをしっかりと教え、モラルのあるしっかりした大人に成長して欲しい」と願う親の愛情であり優しさであると言えます。これを気遣いとは絶対に言いませんよね。

逆に男(女)同士で食事に行った時、自分は吸わないが相手がたばこを吸うから灰皿を取ってあげた。これは「優しい」というより「気遣い」の方になるのではないでしょうか。

よって「気遣い」とは単に「相手が今こうしてくれたらきっと嬉しいだろうな」というのを察知して先に行動することを意味するのではないでしょうか。

また「優しさ」というのは「相手のためになると思ったことを、愛情を持って実行する」ということになるのではないでしょうか。

優しさと気遣いを混同しがちなのはなんとなく意味合いが似てるからでしょうね。こうして真剣に考えてみると全然違うじゃんといった印象です。ポイントは「相手の為になるかどうか」というのが僕の結論です。

あぁ、それと気遣いというのは、度がいきすぎると只の「おせっかい」に。優しさは判断を誤ると只の「迷惑」となってしまいます。どちらも頻度と内容をわきまえないといけませんね。