遠くアメリカ合衆国ユタ州からここ日本に来られていらっしゃった宣教師の話を聞いた。

「生まれ変わっても、今の家族と同じ人達と家族になれるのです! なんと幸せな事でしょう。」

のような事を仰っていたと記憶しています。
(遠い昔1996年くらいの事なので、もしかすると記憶違いかも。)

彼らはお酒も飲まない、婚前交渉もしない。
お茶も飲まない。

しばらくの間、教会に通った。
聖く礼儀正しく心暖かい宣教師たち。
信者たちも清楚なおもむき。

「驚きだ。この人たちは、みんな家族が好きなんだ。すごいなあ。
生まれ変わっても再び会いたいなんて、愛するに値する親を持っているなんて、なんと幸せな人達なんだ。
親に虐待された子供とかなら、来世も同じ親っていうのは嬉しくないだろうなあ。」
なんて事を思っていた。





 前世で自分をいじめた親を今世で自分の子供として生む。
  可愛いはずの我が子をなぜかいじめてしまう。
  そしてその子は育ち上がり、親を恨む。

 その子に来世は生んでもらってこの世に出てくる。
  親が憎い。許せない。
  おむつを替えてもらった恩はある、と苦しむ。

 そして、また自分が親となり生んだ子は憎んだ親の生まれ変わり。



私たち人間はそんな事を繰り返しているのか?


自分をいじめた人間を愛せるか?
許せるか?






難しい。








でも、その地獄の無限ループから抜け出すには、
どこかでその「やられたからやりかえす」を止めなければならない。
その繰り返しを断ち切らなければ。



そうとうな努力だ。
葛藤だ。



頭ではわかっていても、感情とはどうしようもなく湧き出てくるものなのだ。




繰り返していくうちに少しは良くなっていくのか?
それとも深みにはまっていくのか?



来世の親が別の人間だったとしたら、
今よりマシなのか?
それとももっと酷いのか?






先に変わった方が勝ちだ。
許した者勝ち。





この宇宙では、
ふさわしい場所にしか存在できないらしいから。









波 * * * この記事に書かれた物語はフィクションであり、「わたし」を含む登場人物や職業、言動、行動などはすべて架空のお話です。** * 波