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優れた美人になるために

32歳になってからはじめた(2008年4月スタート)歯列矯正の日記です

ファッション誌よりもインテリア雑誌を見るほうが近頃は楽しい。書店の立ち読みも女性が群がっているファッション誌コーナーは近づかず、インテリアコーナーで過ごしている。

購入したのはこの二冊。


ELLE DECO
優れた美人になるために-ELLE DECO


FIGARO 
優れた美人になるために-FIGARO


FIGAROは年末に出たパリのアンティーク特集もよかった。

インテリアのテイストとしてはアンティークが好きなので参考になる。


優れた美人になるために-FIGARO

「なんかファッション誌を見る気がしない」となってしまうのは、思い当たる節がある。3月で仕事を辞めるからだ。仕事を辞めると新しい服を購入しても見てくれる人もいないからつまらない、「見られてなんぼ」とどこかで思っているわけである。ファッションが好きと行っていても、真正の服好きではないのだなと感じさせられる。服それ自体と言うよりも私にとってファッションは結局誰かに見せびらかすものであり、その相手と機会がいなくなるとどうでもよくなってしまっているからだ。本当に服が好きな人はだれがみなくても、常に自分の着る服にこだわっているんだろうなーと思う。


だんだんと自分が枯れていく事態を意識しつつそれを自嘲するあたり典型的な主婦的思考傾向とも言えるが、かわりに浮上してきたのが、インテリアをどうやったら自分好みにしていけるかと言う課題である。日中過ごす長い時間を快適に過ごしたい。そんな無意識的な考えが、私をファッション誌からインテリア雑誌へと移行させたのかもしれない。


雑誌のようなインテリアにするには部屋の家具や壁紙まで全部変えなければならないし、相当の時間と予算がかかる。間取りだって全然違う。となると、ファッション誌のように実用的ではないのかもしれないが、これらの雑誌はいつかこんな部屋で暮らせたらいいな、というささやかな夢をふくらませてくれるものとして十分機能しているのである。

ホットペッパーなどのクーポン系フリーペーパーを駅にあるラックから取り、電車内でひまつぶしに読むことがある。行くこともない合コンにふさわしそうな居酒屋の写真を見て、「こういうところで久しぶりに飲みたい」「コラーゲン鍋って女性しか食べなさそう」と思ったり、美容室のヘアカタログのモデルを見て、「もっと若くてきれいな人をつかえばいいのに。なぜこの人がモデルに・・・」と上から目線で評価したり、爪の先に異常なくらい大きな花やラメをもったデコネイル見本を見て「こういうネイルをしていたら逆に周囲からひかれるんじゃないのだろうか」などあれこれ考える。ただのひまつぶしとあって、あまり周りを気にせず読んでいる。しかし、どうしても車内で開くのを躊躇してしまうページがある。


優れた美人になるために-エクステ


エクステやまつ毛パーマなどの店をとりあげているページである。最初にみたのは2年前ぐらいだろうか。やはり電車の中で読んでいた私はぎょっとしておもわずページをふせてしまった。女性の目の写真だけが正方形に切り取られ並べられているのだ。この誌面を不気味に感じてしまうのは私だけだろうか。作品名はおぼえてはいないが、壁に複数の目を書いたシュールリアリズムの絵画やホラーマンガなどを連想してしまう。しかし、私のように感じる読者は少数派なのか、とりたてて苦情はないようである。今でもこうやって普通に大量の目ばかりとりあげた誌面は存在するし、女性は何も感じず、この同じような目の中からわずかな差異を見つけ出し、自分にふさわしいエクステの予約をするべく電話しているのかもしれない。


同じような画をほかの場所でもみた。


女の腰から下がすっぱりと切り取られ、マネキンのように同じ足をした写真が並べられている。


優れた美人になるために-スカート

これはインターネットで洋服を販売している某サイトの画面である。カテゴリ「スカート」で商品を検索をかけると上の画がでてきた。インターネットのおかげで楽に大量に物色(たとえばスカート一着を買うのに300着の中から選んだり)できるようになった。最近では商品の写真もよくとれているし、説明も丁寧なので失敗も少ない(以前は色やサイズが思っていたのと違うことが結構あった)。たくさんある同じようなものの中からわずかな違いをみつけて、自分のためのものを選ぶ。そういった行動が習慣化してくると、全体像は見えず、感覚は鈍化し、異常(不気味さや不自然さ)を感じることはなくなる。はじめはぎょっとしたこのスカートの足もすぐに気にならなくなり、だたの無機質なマネキンとなって、私は画面を次々とクリックし、気に入った一着を購入した。体の一部分が部品のように並べられている様子はもはやシュールリアリズムではない。日常の風景である。


思うに美人はたいてい似たような顔をしている。顔のパーツから記号のように美人に当てはまる部分(まつげがながい、目が大きい、鼻が高い、歯並びが良いなど)がその顔にいくつあるか瞬時に読み取り、美人かそうじゃないかをふりわける。どうして自分は美人ではないのか。どの記号が自分に足りないのか。どこを取り替えたら今よりも美しくなれるのか。「見られること」を意識している女は、鏡を見ながら、時には写真を見ながらそのことを考える。全体のバランスなどは重要ではない。女たちが着目するのは部分だ。部分だったら簡単に変えられる。すぐにキレイになれる。そう錯覚する。そして、カタログの中から自分に組み込まれるべき体の部品を必死になってさがしている。シュールと思わざるをえないその行動はもはや習慣である。

18歳から化粧をするようになってもう14年。眉は短くカットされ、大幅に抜かれ、もはや自分の本来の眉の形はわからない状態となっている。覚えている記憶では、私の眉は毛は多めで長く、眉山はあまりなく、眉尻にむかって下り坂になっていく下がり眉だったはずである。しかし、今では眉頭には毛が相変わらず密集しているのだが、眉山、眉尻あたりになるとほとんど毛が存在しない。眉が途中で尻切れ状態になっているのである。いつのまにこんなことになったのだろう。抜いているからなのか、それとももう毛穴がなくなってしまったのかよくわからない。


ちぎれ眉で出勤するわけにはいかないので、毎朝ペンシルやシャドーで描いているわけだが、これがどうもなんとなくでやっており、納得できるような眉が作れたことがない。ぼんやりと「このあたりが眉山かな」という場所をきめ、あとは適当に線を流す。それで私の眉メイクは終了だ。前髪でどのみち隠れるしまあいいや、とどちらかというとごまかしているという感じである。


眉が変われば印象が変わるというのはよく言われていることで、私自身も「眉をきちんとしたらだいぶ違う(美人に見える)のではないか」という気持ちを常々抱いている。しかし、ファッション・メイク誌の眉メイク特集も熟読し、ネットに出ている眉講座もお気に入りに入れて何度も見ているし(だいたいどこも似たようなことを書いているんだけど)、黒眼と目じりの間の垂直線上とか、鼻から目じりを結ぶ線とか一応指示どおりにやってみるのだが、それでもどうも難しい。


そこでここはプロに任せた方がいいと、眉カットに定期的に行ったこともあったわけだが(美容室やクイックメイクサロンなど)、数日経つと形がくずれてしまうし、わざわざそんなところに眉だけのために行くのも面倒になり、いつしか自己流に戻るという繰り返しである。


そんなテキトー眉を保持する私が今回思い立ったのが眉テンプレートである。その名の通り、テンプレートをなぞるだけで簡単に眉が作れるというしろものである。これはありがたい。この際、「人によって骨格が違うのでテンプレートではその人に合う眉は作れない」という通説は考えないことにする。



優れた美人になるために-パッケージ

店頭で売っているのを見たことがないので、ネットで検索し購入した。840円である。この安さで眉が作れるのなら大変ありがたい。パッケージの中には説明書も入っており、いつもの「目じりから垂直線の位置に・・・」とか書いてある。



優れた美人になるために-説明書


テンプレートは6種類。左側が眉山の角度がついたフェミニンタイプ。右がゆるいアーチを描いたナチュラルタイプである。それぞれ太さも三段階ある。

優れた美人になるために-テンプレート


眉メイクに悩んでいる私が欲しいもの、それは眉山。眉山があれば、もっとあかぬけた感じになれるのではないか、と長年妄想してきた。右側のナチュラルだと変化がなさそうなので、左側のフェミニンタイプを使用してみる。不自然にならないよう今の眉の太さと同じ程度のものを選んだ(一番下)。


眉パウダーでテンプレートの中を黒く塗っていく。テンプレートの素材が柔らかいせいか塗りにくい。「どうなんだ、これは?」と不安になりつつ、テンプレートをはずしてみる。すると、どうだろう。想像していたよりもずっときれいに、しかも自然な眉ができあがっているではないか。これはいい。あこがれの眉山がついたおかげで、私も美人顔になったような気がする。眉プレート、使える。しばらくは世話になるだろう。