主治医との面会、してきました。

それが終わったらはるねの最期のことを
書こうと決めていたので、書きます。

多分読みにくい文章になりますが、
良かったら読んでやって下さい。

なるべく事実を記録しておきたいので
あえて淡々と書きます。



はるねは、年明けに一度大きな痙攣を起こし
次発作が起きたら、脳波をはかることになっていた。

2月にまた痙攣を起こし、
脳波の検査の結果、てんかんの診断が下り、2月23日よりデパケン(抗てんかん薬)を開始。

その時の痙攣は、足が勝手に上がるような感じだった。

本人はけろっとしていた。

2週間くらいは何の副作用も見られなかったけど
それ以降、口から飲む量が減り、寝る時間が増えてきていた。

はるねは元々体調に関係なく機嫌の波が激しくて、
機嫌が悪い時は口から飲まなかった。

目覚めると活気はあったのであまり心配していなかった。

数日間機嫌が悪かった時に、
またきつい痙攣があった。

また今までと違った動き。

息を「んっ」と止めているようにも見え、
はるねも苦しそうだったので、主治医に連絡。

亡くなる前日、神経科の診察を受けた。

痙攣の種類をはっきりさせるために、
24時間ビデオ脳波を取りましょうと言われた。

たまたま翌日の予約がとれた。

その日は比較的機嫌が良かった。

ベビーカーで良く寝てくれていた。

久しぶりに直母でもしっかり飲み、
哺乳瓶でも少し飲んだ。

ただ、数日前からおしっこの出方にムラがあった。

でも1日通しての量は今までと変わらなかったので
あまり問題視していなかった。

二日に一回くらい、胃残が引けていた。

デパケンのせいかな?と思っていた。

少量混じる血は鼻血だと思っていた。

よく寝ているように見えても、眠りは浅く、
時々叫ぶように泣いていた。

いつもとちょっとした違いはあっても、
それでも「いつも通り」だと思っていた。

大したことないと思っていた。

明日に入院を控えながらも、
病院の近くで食事をした。

買い物もした。

はるねはその間、一瞬はぐずったものの
よく寝ていた。

帰宅後もよく寝ていた。


3月17日。

夜もよく寝て、朝は良い顔で目覚めてくれた。

昼からの入院で、私が支度している間もよく寝ていた。

出発前に少しぐずった。

病院で、入院前の検温。36.3℃。

少し低かったけど触った感じは普通で、
いつもと同じ様子だった。

病室に到着した後、しばらくは機嫌が良いまま寝たり起きたりしていた。

再度検温。37.0℃。モニターをつけた。

心拍140台、サチュレーション80台。いつも通り。

でもぐずりだすと70台。

新生児科の主治医と循環器科の医師に確認し、
60台になったら酸素を入れてと指示。


脳波の電極をつけるとき、本格的に泣き出し
60台を切ったので、酸素を流した。

流したと言ってもマスクが合わなくて、
顔から少し離した位置に置いただけ。

すぐにサチュレーションが80台に戻り、
マスクを離しても下がらなかったので
ほんとに一瞬、酸素を入れただけだった。

電極を全てつけ終わった頃には泣き疲れて眠っていた。

数値は安定していた。

ビデオ脳波は、脳波を計りながらはるねもビデオで撮影し、
脳波が乱れている時どんな動きをしているか見られるようになっていた。

なおかつ私がはるねを観察し、
痙攣と思われる動きをしたらボタンを押してマークをつけ、
それが本当に痙攣の動きなのか検証できるようになっていた。

だからなるべくずっと
はるねを観察しておいて下さいと言われていた。

念のため血液検査しときましょうと言って下さり、採血をした。

いつも注射の時はギャン泣きするはるねが
一瞬泣いて、でもすぐに落ち着いた。

成長したなーって思っていた。呑気に。




はるねは元々、大きな心室中隔欠損がある中で
絶妙なバランスをとっているので
時々サチュレーションが落ちることがあった

でもすぐに自分で戻れていた

苦しそうになったことは一度もなかった

この日も顔色が悪くなったことは一度も無く
以前の入院のときも、環境の変化からか機嫌が悪かったので
この日もそんな感じだろうと思っていた


それでも実は、数日前から
何となく、何となくだけど、
今までの状態がずっとは続かないような気がしていた。

でもお別れになるなんて考えもしなかった。

例えば、痙攣がひどいので薬が増えて
副作用で今までのはるねじゃなくなるとか
例えば、酸素投与を始めたり、モニターをつけることになって
今までほど身軽じゃなくなるとか
そんなことになるかもな、と思っていた

甘かった。本当に。

なるべく見てようと思ってはいたけど
眠気に負けそうで、携帯を見ていたり
休憩室でコーヒーを飲んだり
脳波の電極が気になって、
あんまり抱っこしてあげられなかった。

退院したらまた手首が痛くなるほど抱っこできるはずだった。


長くなるので分けます。