私は不妊治療をしていました。


2ヶ月になった我が子も不妊治療の末に授かりました。


本当に偶然が重なった奇跡なんだとしみじみ思うことがあります。




その過程で6回採卵をしています。





そして余剰凍結となった2個の初期胚。



産まれた子と同じ時に採取し受精卵となった卵。


先日クリニックから電話がありました。



凍結胚の保管をどうするかという内容です。


延長するか悩んでいた数日後、また着信がありました。



2度の催促、さすがに決めなければと夫と話し合い。



と、思ったのですが、夫はテレビ見ながら、スマホを見ながらの対応。


何度か日を分けてどう考えているか聞くもいつもそんな感じで嫌になってきました。




あげく、『2年後とかに2人目を考えるようになったらその時また採卵すれば?』とか、『自然妊娠で頑張れば?』などと理解不能な言葉の連続に呆れたため息しか出ませんでした。


 


   




不妊治療において、“女性と男性の温度差”というのはよく聞きますが、私たちも残念ながらそうでした。



真剣に考え悩む私と楽観的でどこか他人事の夫。


着床すらできず部屋の隅で隠れて泣いていた私を見つけ『わかるけどさ、泣くなよーえーショボーン』と。

寄り添ってもらえない悲しさを覚えています。


心と体、両方に痛みを感じるのは妻の方。

ならばせめて心の痛みは共有したかったです。



きっとそうならないのは、夫自身が通院したり痛い思いをしたわけではないからなのでしょう。


そして判定日に陰性を通告され、どん底に落とされるのも妻。





これは私の話ですが、もしかしたらそういう夫婦が多いのかもしれません。




治療中もそういった感覚なので凍結胚に対する思いも私とは違うのでしょう。




   



産まれた子と同じ時にできた受精卵。


移植すればもしかしたらうまくいくかもしれない。


高齢な両親なだけにできればこの子に兄弟を作ってあげたい。


でも、やはり年齢や経済面を考えるとなかなか難しい。


またあのいくつもの“◯週の壁”と出生前診断などの不安な日々を過ごすのは怖い。



それでも初期胚を手放したらもう、子供を授かることはほぼ0だろう。




私は帝王切開での出産でしたので、1年以上は次の妊娠まで空けなければならないようです。



そうなると、私はいくつ?


などなど、いろいろな考えが飛び交っていました。




これらのことは夫もほぼ同じ考えでした。


ただ、こうも言われました。


『2人目が産まれたとして、そしたら俺が仕事している間1人で2人を世話するんだよ?今でさえ手首や膝がおかしいのにできる?余計におかしくしてダメになってしまうんじゃない?』と。



私の体を気遣っているようです。



でもね、夫よ。


育休とった君がいてもお世話は私が9.5で君は0.5の割合よ?家事は皆無だし。


というのは、飲み込みました




夫は決断は私に委ねるような言い方しかしてくれませんでした。





   



現実に向き合い、延長はしないことに決めました。




正直、辛かったです。






受精卵は不妊治療では希望の源。


そして、


できれば体に戻してあげたかった。


たとえ妊娠に至らなくても。



そんな思いもありつつ、今いる我が子のお世話にいっぱいいっぱいの毎日の中、治療再開は2割程度だろうなというのが現実的です。



凍結延長も結構な金額。

移植なども数十万出ていくし。

そういった諸々の問題。


私なりに向き合い、答えを出しました。




そしてクリニックへ電話☎️


証拠のため録音されているんだなというのはなんとなくわかりました。



私『延長はせず終了にします』


培養士『わかりました。では◯日付で廃棄します』


と。



廃棄





私はその言葉を使いたくなくて終了と伝えたけれど。




わかります。




そういうものなんだと。




けれど、喪失感のような寂しさは拭えませんでした。




私の不妊治療は完全に終了してしまった瞬間でもありました。