お世話になっているある塾の先生が、こんなことを豪語していました。
「生徒の点数上げんのなんて簡単や。いくらでも上げられるわ。」
詳しく聞いてみると、
「勉強の習慣ができてない子どもは家におったら、勉強せーへん。
塾に来さえすれば勉強せざるを得ない。
だから、ただ点数上げたかったら、長い時間塾にいさして、
勉強すんの見はっといたら、絶対その前より点数上がんねん」
なるほど、確かに。
でも先生はこう続けます。
「でもそれやったらあかんと思てんねん。
塾辞めたらまた勉強せーへんくなって、
また元通りや。」
それを聞いて、
この先生は本当に子どものことを考えているんだなと思いました。
塾の採算だけを考えたら、
そうやって辞めないでずっと続けてもらった方が得なのかもしれません。
この話を聞いて、私が連想したのは整体師です。
2流の整体師は、
施術して気持ちよくなってもらって、完治はさせない。
するとまた1か月後に、
「先生ー、また悪くなったから、マッサージして」
と、ずっとお客さんが途切れなくなります。
でも、1流の整体師は、
さっと完治させて、こういうところに気を付けて生活してね。
と、もう来なくても大丈夫なように患者さんをフォローします。
その患者さんはもしかしたら、
もうその整体師に一生お世話になることはないかもしれません。
でも、きっと、友人には「いい整体師がいるのよ!」と紹介してくれることでしょう。
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私が大学で農学部を目指したのは国連に行きたかったからです。
国際支援について学んでいくうちに、こんなことを聞きました。
日本人が世界各地で井戸を作っても、
壊れてしまったらそこの人は直せないから、
井戸は打ち捨てられ、
結局水がない生活に戻ってしまう。
支援とは?を考えていくうちに、中国の老子という人のこんな言葉に出会いました。
「魚を釣ってあげるのではなく、魚の釣り方を教えよ」
僕が旅人で、ある飢えた村に行きました。
僕は釣りが上手なので、魚を釣って村人に配りました。
村人はたいそう喜んで、僕を「救世主」と呼んでくれます。
僕は旅人なので、また次の村に行きます。
次の村でも同じことをしているうちに、
前の村はまた飢えた状態に戻ってしまうのです。
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この話、先ほどの塾の話と同じだと思いませんか?
「詰め込みで勉強させる」「魚を釣ってあげる」
これらの「短期的な結果」によって生まれるのは
そう、
「依存」です。
「勉強を教えてあげる」のではなく、「勉強の仕方を教えて」あげる。
いえ、もっと正確に言えば、ヒントを与え、本人に見つけてもらう。
そんなことをしてくれる機会って世の中に中々ないのでは?
そう考え、私たちが行っているのは、
短期間で「考え方」を身につけるトレーニングコースです。