Team tattoo-child  青龍日記 俺様珍道中 -47ページ目

近くのスーパーで母がパートで働いている。実際に仕事してるとこは見たことないが、ユニフォームを着て客を呼び込んでる姿を想像すると、
こわくてみにいくことができなかった。

雨。

風邪の母をそっとしておいて(ほったらかしという訳じゃない)父と朝食を挟む。
トーストと目玉焼き、スープ。
父は食器棚の戸を引いて隅っこの食塩を出す。
隠してあったのか?父専用?
無表情だが父の目が笑う。
高血圧だった父は塩を控えなければならなかったはずだが、こんなところで喜びを感じていたのか。
醤油のかかった目玉焼きにさらに塩を振る。
「コーヒー飲むか?」と父はポットのスイッチを入れる。手馴れている。
知らなかった父の日常が見えて、俺は思わずニヤニヤと(あくまでもほほえましく)観察してしまう。

言葉を交わしただろうか。
殆ど無言で過ごすが、先週病院に行ったときのように上の空な感じはない。明らかに漂う空気に違いがある。
父は確かに今現在を見つめている。

眠い。

晴れているのに寒い。朝9時過ぎに実家に到着。
母はどうやら風邪を引いたようだ。熱は治まっているが倦怠感が強く、今日は俺が家事を引き受ける。

父は朝御飯に茹で玉子を食べ、新聞を広げている。
かなり調子よくなってきているがまだ人のことに構っていられないようだ。
それにしても抗鬱剤飲み始めて3日位だが、こんなに変わるもんだろうか。抗鬱剤はふつう飲み始めて2週間ほど様子をみないと効果を認められない。
薬じゃないとすると、父に何が作用しているのだろう。
病院へ行ったという安心感?薬を飲んでいるという暗示?治り始める時期に差し掛かっていた?そんなばかな。
まあ、とにかく妙なことをしないようにみていよう。

家事をやってみると自分がどんだけ家のことやってないかわかる。
毎朝俺の弁当作ってる黒猫は凄い。
洗濯機回してる間に買い物へ。
帰ったら洗濯物干して少し遅い昼御飯。その後はすることなくて俺も寝てしまった。
一日はあっという間だ。

ラジオライフ

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ルシフェルがいつも読んでる雑誌をなんとなく開いてみた。

無線、受診、パソコンの裏技、盗聴、裏情報満載。
あいつは何を目指してるんだ…。
結構はまるけど。

休養。

久々の休養。
なんも考えないで過ごしたつもり。
多分親父のこと気にしてる。


こういう事は重なるもんで、実家に連絡してみたら母が熱だしてダウンしたらしい。
明日の朝急遽実家に戻ることに。
テロリストが車出してくれる。本当に助かる。

あぁ、小島よしお。同級生だからかね、みてるとホッとする。

横浜へ

朝の父は顔色がよかった。「お前仕事は?」などと心配もする。足取りもしっかりしてきた。
よかった。

父の言う通り、仕事や同居人をそのままにはしておけないので今日は一度アパートに帰ることにした。
冷たく聞こえるかもしれないが、俺にも俺の生活がある。それを全部投げ出す程の事はまだ起きていない。
鬱病になったということは父の人生の中の一過性の出来事であり、父親が鬱病になったということは俺の人生の中の沢山の出来事のたった一つのことである。本人にとっては一大事だが真実はそれだけである。それ以上でもそれ以下でもない。掘り下げて長々と物語のように語るつもりもあまりない。

今日は気分が滅入るほどの嘘のような快晴。塵や衣類から舞い上がった繊維が日の光に照らされてきらきらと後ろに流れ始める。電車の中はガラガラで、俺の頭の中も空っぽだった。
こんなときに人はふと、簡単に総てを手放し死んでしまうのだろうか。

俺は自殺未遂を繰り返しながら必死に生にしがみついてきた。

横浜のアパートに帰るといつもの日常が続いていた。

チームをまとめるリーダーはみちこと俺、あまがえる3人。みちこは入院しているので2人でなんとかやってきた。
夕食の重い空気。
遮るようにかえるが「大丈夫だよ。みんなそんなに子供じゃないし、好きなだけお父さんの傍にいてあげな。これは青龍のためでもあるよ。後悔しないようにね。みちこの方は任せてよ。」とさっぱりと言った。いつも通りの仲間の顔。いつも通りでいてくれるのがありがたい。本当は一人一人が色んな事情を抱えているのに。
俺が面倒みないといけないと思ってきたが心強い。元々俺が寂しくて呼び寄せたんだった。人のお節介しながら自分の存在価値を見い出そうとする。やっぱ父に似てるんだな。

とにかく感謝。

職場の人も俺の立場を理解してくれて来週は実家で過ごせることになった。

俺は沢山の人に支えられて生きている。
今夜はゆっくり眠れそうだ。

睡眠。

ちょっと俺の話。

寝る時間が勿体なくて、本を読んだり映画観たりして3時間弱位しか寝ない日が2週間ほど続き、その後ぱったりと本も読まなくなり空いている時間は眠っている状態が5日程続く。(仕事は行ってる)いつからか俺の生活はその繰り返しになっている。
多分躁状態と鬱を行ったり来たりしているんだろう。
ま、生活も困らないし、誰にも迷惑かけてないから(夜中布団に潜り込むと黒翼が非常に嫌がるが)そういう体質として治す気は全くない。
それにしても寿命内で読める本の数は少ない。まだまだたりない。時間がほしい。しかも俺は読むのが遅い。もっと沢山の本を、知識を。


とか思いつつ、そろそろ眠りについたら20時間くらい寝る時期に入り始めてる。
あぁ、寝ているときはなんて幸せなんだろう。死んだときもこうして無になれるんだろうか。

昨日

昨日の19時ごろ、俺が買い物から帰ると父は洗面所にいた。
髭をそりながら「寝坊した。今日は朝御飯いらない。」と言う。

俺は固まった。

父は朝の7時だと思っている。しかも自分が病気であるということを自覚していないどころか忘れている。

見当識障害。

人は入院直後や手術のあとに一時的にせん妄状態になることがある。急激な環境の変化と展開の早さに心がついていけなくて混乱する。つまり、少し認知症になったようにみえる。他にも沢山の理由が複雑に絡み合って起きるが、父も前日に色々なことが自分の意思とは関係なく進んでいったので、混乱してもおかしくない。
と、俺はすぐ考えた。

多分そう思いたかったのだろう。
自分の親がそうなるとは思っていなかった。
俺は物凄く動揺した。
数日経っても見当識障害が顕著に見られるのなら、また病院に相談に行こう。

それにしても、混乱しながらも習性のように仕事に向かおうとする姿。
毎日「会社に行かなきゃ」と、呪文のように頭の中で思っていたのだろう。行きたくなかったのに。

俺は「父をこんな風にしやがって」と会社に対して怒りを感じた。
しかし、父がここに至るにはそればかりが原因じゃない。
家の事は全くできなくて、ただひたすら仕事をして生きてきた父。俺や兄貴が金を何に遣おうが口出ししたことはなかった。(バカなことには遣わなかったが。)
俺が鬱病だと診断されたとき「ずっと家にいればいい。」と言ってくれた。
仕事仕事で家にはいなかったくせに、家族や子供が生き甲斐だったんだろう。
仕事をすることが、不器用な父の最大の愛情表現だったんだ。お陰で俺達は金銭的に困ったことは一度もない。

それなのに俺は大学の学費は自分で払い、散々自殺未遂をしては心配かけ、しまいには家を出てしまった。父の役割を蹴ったわけだ。
親不孝だな。
当時は家族が自殺するかもしれないってことがこんなに恐ろしいことだとは知りもしなかった。

今からでも取り戻せるだろうか。
今更遅い。
過去の時間は変わらない。でもこれからの俺達の関係は変えていける。
ここまで来るのに時間かかりすぎだけど、遅すぎだけど、本当に申し訳ないんだけど、
俺ができる最大の事をさせてほしい。

親父、ごめんな。

やばい!親父が…。

一昨日実家にかえって驚いた。
酒も飲まない。食事もとらない。父の様子がおかしいからちょっと見てくれと母に言われた。
父は毎年1月に正月の飲みすぎが祟って体調を崩す。だからまた酒の飲み過ぎじゃないか?と思ったが、酒は飲んでないらしい。それはおかしいな。
うーむ。確かに。
服の毛玉一つでも気にするくせに全くお構い無し。風呂に入らない。朝のごみ出しが習慣で、ごみの日を前日に確認し、なにがなんでも捨てに行くはずがごみについて触れないし捨てない。それどころか夜中いつまでも起きてて朝起きない。仕事のためにいつも家にはいなかったくせに、3日も休んで仕事の電話を避けている。布団に入りっぱなし。別人である。普通身体に何かあるんじゃないかと思うところだが、最近簡単な検診を受けたばかりで何もなかったのだそうな。顔や眼臉の黄染はなく浮腫みもない。しかしこれはただ事ではない。俺は俺と同じ病名を考えたが、まだ本当の事は分からないし、だとしても別の病からの2次的な症状かもしれないと思い、大体の科が揃っている大学病院に連れていくことにした。
いつからこんななんだろう。こうなるまでにかなり時間がかかったはずだ。母は俺が忙しいと思って言わなかったのだろうか。
それにしても医療の知識もほとんどなく、こういった症状の人と一対一で生活するというのは本当に大変だっただろう。しかも俺と似て短気な母が。
気を遣わせた挙げ句、大変な思いをさせてしまった。今まで黙ってたことを責めることはできない。自責の念がいっぱいというのはこういうことか。申し訳ない。俺は馬鹿だ。
朝から着替えさせ、さぁ病院へ。いざ行くときにハンカチちり紙、携帯を丁寧にかばんに入れていた父が何かを探しだした。タバコのことだけは忘れないらしい。かばんの中の物をもう一度全部だしタバコを含め丁寧にかばんに入れ直す。最後に残る欲求はタバコですか。
動作一つ一つ時間がかかって手を貸したくなるがとりあえずできることはやってもらおう。父も自分の事は時間がかかっても黙々とやり続けようとする。当たり前だ。そうして生きてきたんだ。なんだか痛々しい。
でも本人がやる気がある限りなんでもやらせてやりたい。だからゆっくり見守って待つことにしよう。
雨。いつからこんなに歩くの遅くなったのか、俺はゆっくり速度を併せて歩く。
無頓着な傘のさし方。それじゃぁ背中が濡れるだろ。傘をささなくていいところにさりげなく誘導。
バスに乗るとき後ろに倒れそうになり俺が支える。思ったより軽い。
「え?」突然財布から210円出し俺に差し出す。俺が仕事しているの知ってるくせに俺の交通費を出そうとしているわけだ。俺はいつまでも子供なんだな。指が白くて冷たい。見覚えある指の形。俺と同じ形。
父の交通費も俺が払うつもりだった。
父としての気持ちを汲んで互いに自分の分だけ払うことにする。「俺は仕事してんだから気を遣うなよ。」というと「そうか」とつぶやく。無表情。
階段は常に俺が下側になるようにする。
え、どこいくの?駅のホームに着くと速足になりさっさとホームの前の方へ。「ここから乗るんだ。」とつぶやく。出勤時、毎朝そうしていたのだろうか。父にそんなこだわりがあったとは知らなかった。
俺の父はもう優先席に座っても違和感がなくなっていた。

なんとか病院に着く。
先ずは内科であらゆる角度から病気の可能性を消していく。
身体には殆んど異常は見当たらなかった。
途中から母も用事を済まし様子を見に来た。
午後になって精神科にまわされる。
出てきたドクターが包むように父を診察室へ案内する。
待っている間母に女性の研修医が近づいてきた。「大変でしたね。必ず治りますからね。」という言葉に母は泣いていた。

病名は鬱病。

職場の部下に5年以上もの間暴言を浴びせられ続けたのだそうだ。
北大卒でエリートの道を歩み続けてきた父には初めての経験だ。というより別世界のことが自分に降りかかってきたのだろう。
相手は反論すらしない父に、調子にのって暴言を吐き続けた。そんなことされたら誰だっておかしくなる。
毎朝出勤時、父がマックでコーヒーを飲むことを俺は知っている。そのとき父は何を見て、何を思っていたのだろう。
一人で5年以上も。

板挟み。家族のためと、行きたくない職場。
もう気持ちの行き場がなくて酒に走ったのだろうか。

ドクターから処方箋をもらい帰途につく。
帰り際、行きにも着けていた薄っぺらいマスクをポケットから取り出し、不器用に広げ、もう一度着ける。
電車の中で、「そういえば来週新しい入れ歯ができる。」と無理してうっすら笑った。

帰ってから父が勤める会社に問い合わせたところ、父の周囲の上司たちも暴言を吐く部下の存在を認めた。しかもその部下は父とは違う部所の人間だった。
これ以上その部下が父の目の前に現れようなら会社共々訴えるつもりだということを俺は感情的にならないように話した。会社はパソコンや電化製品で有名な日本の某大企業なわけでこちらの訴えを真摯に受け止めてくれた。
今後の対応を見ていこうと思う。


今父は自分の布団を神経質に敷き直し、明日出すごみをチェックして眠りについた。
多分明日そのごみ捨てるの俺だろうな。
受診しただけでそんなに変わるだろうか。俺の時も俺は初診から帰るとやっと食事を口にしたんだったな。ドクターに診てもらったという安心感か。
父の中の時間がまた少しずつ進み始めた。また徐々にいつもの神経質な父に戻っていくだろう。
父の回復力を信じたい。

俺は何もできない。今も父は一人でじっと戦っている。
安全に治療できるようになるべく近くで見守ろう。
来週は有休とるかな。
というわけで俺の病は遺伝も含まれているらしいというのが今のところの結論。それ以上はまだなんとも言えないからだ。

ほっといたらずっと

俺は寝てるかもしれん。
連休中は廃用症候群に気を付けよう。