むかーしむかしのことでした。
ある町に男がおりました。
力も体力もあり、また人当たりも良く、いつもニコニコ笑っていて、誰に対してもいい顔をしていました。
町の人たちは、男を好いていました。
なぜなら、いつも優しいからです。
そして、男が仏さまを信仰していて、
「あんなにいつも笑っているのだから、きっとできた人間に違いない」
と思われ、嫌なことがあると男にいろいろと話すのでした。
そのたびに男は、ニコニコと笑って聞き流すのでした。
男の行動は特に変わりませんでした。
どんなときでも「仏さまの教えはこうだ、ああだ」と町の人たちに教え、災害があっても悲しいことが起きてもニコニコしていました。
「仏さまがなんとかしてくれるだ」と男はどんな時でもそれを信条としていました。
その頃、町には少し荒くれた若者がいました。
けんかっ早く、口も悪く、常に悪態をつくような若い男です。
町の者は皆、若者を嫌いましたが、災害が起きたり誰かが困っていると、どこからともなくやってきて若者は力を貸してくれました。力仕事も何のその。体が汚れても気にもせず。
町の人々は、やがて若者を見直した目で見るようになりました。
それを見て、先のニコニコ男は
「私のように仏の教えを知らないから、あんなに荒くれているのだな。かわいそうに。
どんなにいいことをしていても、心の平穏を保っていないと周りは救われない」
と思っていました。
そしてずっと、そのままでした。
やがて、男は寿命がきて死にました。
当然、仏の教えに従ったので極楽に行けると思っていましたが、行った先は極楽ではなく地獄でした。
なぜでしょう。
それは、耳だけ仏だったからです。
仏さまの教えを聞き、それだけでわかった気になって、実践をしなかったからなのです。
仏さまは確かに「心穏やかに」「笑顔で周囲を救いなさい」と言ったかもしれません。
ですが、本質はそこではなかったのです。
仏さまの教えは、「誰かを助けること」。
男は自分の手で、誰かを手伝ったでしょうか。いいえ、ただ笑っていただけです。仏さまを信仰していただけです。
一方、荒くれた若者はどうでしょう。誰かが困っていたら、身体を動かし助けました。
この若者は、仏さまを信仰していたわけではありません。
ですが、正しい行いができていたのです。
地獄に落ちたニコニコ男の耳は、身体よりも大きく変化し、歩くのもままならないほどおかしな格好になっていました。
耳だけでわかったつもりになり、実際には行動していなかった罰が与えられたのです。
男はそれを恥じて悔い、地獄で修行をしながら過ごしているということです……。
久しぶりに、私が直接聞いたことがある昔話をしてみました。
座敷童のお花なのです。
耳だけ仏、こわいですねえ。
皆さんもどうぞご注意くださいなのです。
わかったと思った時が、危ないですよ。
人は皆、一生修行と学びですから。
それでは、自戒と共に謙虚に生きましょう。
もちろん私たち座敷童もおんなじですよ。
皆さんのお役に立てるよう、頑張るのです。
それでは、また。
お花
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今日もご愛読ありがとうございました!