もしかしたら、

その診方はこの国で育ったことに

原因があるのではないのだろうか?

本当にあの国では

そのような診方をしているのだろうか?

 

 

帝王學と言えば「価値観教育」のこと。

たいていは、東洋思想をベースにしている。

そんな場合が多いように思われる。

 

東洋思想では「自分の心の中」に

関心が向けられるようである。

 

当然、東洋思想と言えば

中国大陸で育った思想も含まれる。

 

 

ここで疑問に思うこと。

老子 孔子 孫子・・・

大陸のあらゆる思想家や文献が

この国ではたくさん翻訳されているが、

本当はそんな意味ではないのではないか?

と、最近では思うことがある。

 

「あんた、間違ってまっせ~!」と

言いたいわけではない。

翻訳を読むと

「きっと、そうなんだろうね!」とは

思うのだけれどなにかざわざわする。

 


 

あの大陸は歴史を見ると

基本的な考え方は、

何千年もの間、何も変わっていない。

 

中国人特有の人間関係だとか、

法に対する考え方、

どれを取っても欧米や日本とはまったく違う。

だから、翻訳に違和感を覚えてしまうのか?

 

香港の師匠に伝えられた大事なこと。

「聖書も他国ごに変換された時点で

意味が少しずつ変わってくるからね」

 

 

やはりいつまでも「道」は見えないのか(笑)

 

END