今日はとても為になるはずのことを書きます。
なるべく端的に書くので、ご一考なさってみてください。
しばしばキャンプファイアーで火の神が入場します。
これは、日本ならではの風習です。
もっと正確にいえば、神道や仏教に根ざした文化もしくは
神道や仏教を前提とした団体やグループの風習です。
様々な神や仏があり、また神仏習合がなされているので、火の神が居てもなんら問題はありません。
むしろ火の神様を大切に考えることが可能です。
一方、一神教と言われる宗教では様子が違います。
たとえばYMCAは、キリスト教に根ざした団体なので火の神は
入場しないか入場しにくいはずです。一神教の宗教だからです。
神様は一つ(一人もしくは三位一体)なのに、火の神が出てくるのはおかしいわけです。
実際にどうかは、私はYMCAだけのキャンプに行ったことがないのでわかりません。
解釈や時代によっても違いがあるかもしれないですね。
様々な神から唯一信じるべき神を見出したのだと言う解釈や、昔は敬虔に守っていたものが今はややゆるやかになったりするなどで。
ユダヤ教もイスラム教も一神教と言われます。
それにキリスト教を含めると、世界の60%くらいの人が一神教といわれる宗教を持っているのです。
これはとても大きな配慮が必要です。
キャンプに来る人がすべて日本人だとしても、宗教は様々かもしれません。
なので、私は火の神は出しません。
出せと言う仕事では出します。出せっつなら出しますが、自分からは出さないです。
大切なことを書きます。
キャンプは国境を越えますけれど、キャンプが宗教を超えることはないのです。
国というのは基本的に選べませんが、宗教は一人一人が持てるものでどこいいても信じる神は変らない。
しかも、生きる道しるべまた教えを守ることで呼吸ができる、くらいになる大切なものです。
この時代に大げさに考えすぎだと言われるかも知れません。
しかし、無視はできない大切なことです。
同じ理由で、私はキャンプの肉はおよそチキンを使います。
いろいろな宗教の人が食べられるようにです。
私のキャンプは最大でも25人くらいの小さいものですが、その中に一人でもイスラム教の人がいたら大変なことです。
カレーと言えば豚肉じゃがいもニンジンたまねぎ、というのはグローバルには程遠い理解といえます。
インド料理やトルコ料理で豚肉はほとんど見ないです。
嫌なら食べなくていいぜ、って場合は、どんな肉も使いますもちろん。
いまどき「私は火の神であーる!」とかいう点火は流行らないから、とかの理由ではないですね。
私はそう言う考えですが、それが正しいとは言いません。
一つの考え方っていうだけです。
しかし、考えナシでやるのが良いとは思えませんね。
ぜひご一考くださり、宗教やそれに基づくタブーとどうやって折り合いをつけるかを考えてみてください。
世界の人々の都合を考えてやり方を選ぶ。それが日本のキャンプをより良くするきっかけになり得ます。
まともすぎるといつもコダワテマスネ!とか言われるけれども、これはコダワリで済ませられないでしょう。
キャンプに宗教を持ち込まない!とか言う人もいます。ならば神やタブーを考えた結果をスタンスにしてようやく持ち込まないでできるという事実に気づいてほしいですね。
持ち込まない=無視、というんじゃあまりに乱暴です。考えた結果、何かの宗教を排除することになり得ますが、考えた結果だから良いのです。
敬虔 なひとが少ないからいいんじゃね、っていうのも思い込みです。わからないでしょ。
考えないのが一番よくないと思えてなりません。
」」」」」」」」」」
いやーでもね
キリスト教団体のキャンプが「今日はブードゥーから火の神が挨拶にきてくれましたー!」とかならいいかも。
あるいは「ここは日本です!日本にはヒノカグツチという火の神がありまーす。今日は特別におよびしました!」
とかならいいかも。
あくまでもヨソから来たものである、という位置づけでどうでしょうか?
おれ秀才!
ほかにもね
たとえば神社仏閣めぐりは観光だからいいとして
「お参りしましょー!」とか言ってませんか。
ヨソの神にお参りすることが不可能な宗教の人には苦痛です。
私は「差し支えない人はお参りどぞ」程度で案内します。
みんな大好きな センスオブワンダー という眠たくなる本では、神とかでてこない。
著者も、森羅万象に神があることに気づいても自分の宗教上言えなかったのではないだろうか、と私は勝手に憶測してる。
数ページしか読んでないけど、「神ってことじゃないの?」と思える節がいくつもあった。ような記憶がある。
なにしろ眠くなる本なので読み切れん。
最後にことわっておきます。
たぶん、私自身がしっかりと宗教を据えた生活や思想を持っていないのが、こうした記述につながっているのだと思います。
そこに後ろめたさもあるのかもしれません。そのために、過敏さや、手を触れにくい畏怖、がある。
敬虔に宗教をとらえている人同士であれば、すでに解決済みで互いに言わずもがな理解しあえているのでしょう。
では、今日はTCS翌日なのでこれで!
そういえばぜんぜん端的ではなかった!
わり!