人を不謹慎と言う不謹慎な人 | キャンプ協会なにしてる

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東京都キャンプ協会の理事の一人が勝手に書いているブログです。キャンプのためになる可能性があります。

http://news.ameba.jp/20160427-264/

ということで、不謹慎狩り、というのが流行っているようですね。

私の考えは、何か具体的な手助けをわずかでもする人の何らかの表現を不謹慎と言う人が不謹慎。
なにがあっても日常を淡々と実行しているなら、それは直接的ではなくても復旧復興の一端を担っている。
直接行動している人も、日常をしっかり繰り返す人も、復旧復興の一端を担っています。

グローバルな社会、グローバルな思考、そう言うのが求められているのに、気になるのは近所の災害や島国の芸能ニュース。そのくせ、英語が話せたり知らないカタカナ言葉を使えるくらいで自分がグローバルだと思ってる人。そう言うの嫌い。

私なんかもブログの内容などが、かなり不謹慎と思われてもしょうがないです。
やってることも不謹慎でしょうね。
災害があったのにパンツいっちょうで昼寝してるんですからね。
災害があったのにニンジンで遊んでいるんですからね。
でもま、これは私の日常です。


極論扱いされるであろうまっとうなことを書きます。
「世界中で悲しい死や苦しい生が常にある。」
ちょっとしたことで 不謹慎! とか言う人はこの事実をどう踏まえておられるのでしょうか。
自分の上だけ青空なら、向こうが雨でも気にしない人は不謹慎ではないのでしょうか。
近くで起こることはとても気になるし、ショックも大きい。
でも、遠くでもいろいろと起こっている。

すぐに 不謹慎! とか言う人は、アフリカの紛争で子どもが蜂の巣になって殺されていることにしっかり反応し、不謹慎で無い行動してるのでしょうか。

たとえばこんなまとめサイト→http://matome.naver.jp/odai/2134898933656718701
世界中で紛争があり、すごく沢山の方々が亡くなっています。
兵士ではなく民間人です。女性や子どもです。病人やお年寄りです。
不謹慎!と思ったりする人は、その事実を日々気にし、毎日を謹慎して暮らしておられるのでしょうか。

不謹慎! と思ったりできる人は・・・
激甚災害以外の災害にも良く反応し、駆けつけたり謹慎したりしているのでしょうか。
亡くなった人数が多いと謹慎気分に酔いしれ、亡くなった人数が少ないと芸能ニュースで笑っているのでは?。



日常の仕事や役割をしっかり行い、できれば日々感謝し、仏壇でも神棚でもお天道様にでもいいから和平と命を祈って暮らしている人もたくさんあります。
そんな方々は何もしない人でしょうか。
そんな方々の仕事が 笑顔いっぱいに人を楽しませる仕事だとしたら、仕事している顔は不謹慎と言われかねないわけね。
世界中の悲しい死に謹慎していたら毎日謹慎しなくちゃならない。

何かあったときだけ過剰に反応し、人を不謹慎と呼び、こんな時になんてことを!などと言う。それこそ不謹慎ではないかと私はまっすぐに感じます。

直接行動する人は必要です。ありがたいことです。
しかし
直接行動しなくても日々の役割をしっかりなさる人たちもちゃんと悲しんでいるし祈っている。(ひともいる。)
それは復旧復興への一端を担っているのです。
直接行動することだけが支援ではない。


早起きしたニュースで悲しい知らせに触れたお年寄りがとことこと仏壇に向かい、痛い膝を折って座り頭を垂れ、ひとしきりいろいろなことに祈り、膝頭を抑えながら立ち上がって味噌汁を作りに台所へ行き、朝の連ドラをみてちょっと笑ったりしてね、いつもの一日が始まる。
直接行動しないし、テレビみて笑ってるし、特に反省もなくあたたかい味噌汁すすって。
これ、不謹慎ですか。
あるいは、謹慎してますか。
どちらでもないです。祈りからはじまる日常です。


私なんかは存在そのものが不謹慎だからね。
誰かを不謹慎と言う人に過剰に反応しているほど不謹慎だぜ。

今日は雨なのでパンツいっちょうじゃないからそれほど不謹慎じゃないぞっと。