というように
トキャンの封筒が変わります。
オランウータンの檻をはずし、これから自由に行動させてあげるつもりです。
ビジョンの仲間がそんな含みを持たせながらデザインを一時変更です。
一時?
そうです。これで終わりではありません。
これは移行段階ですので、2年先以内(まどろっこしい。)にすべての封筒や何かが変更されます。
オランウータンは森の賢者と言われます。
トキャン創設者のナカムラツネオ先生がオランウータンをモチーフにすることを考えました。
それを、創設メンバーの故イトウアキヒコ先生がデザインしました。
最近の枠は、後年つくられたものです。
(少々の勘違いがあるかもしれず、ごめんなさい。)
創設メンバーと会話をしたことがある現在の役員はほとんどいないのではないだろうか。
私は幸いに、イトウアキヒコ先生をお招きした、リーダーシップガッシュクの1回目(私の団体の指導者養成講習会)の生徒でした。
間もなくイトウ先生は他界され、そのお弟子にあたるカミヤシバタ両氏の手によるご葬儀にうかがい、弟子のあるべき姿を拝見しました。
私はそのご葬儀に大師匠のかばん持ちで同道し、お弟子たちの言動行動にいっそ憧れたものです。
ナカムラツネオ先生のご講義も同講座で数回にわたり拝聴しました。
独特のロジックに驚きましたが、それに揺さぶられて幅のあるキャンプを理解することとができました。
トキャンでも昔お世話になっていた、救急法のヤノテルコ先生は、看護師でありながら、文部省が実施した第1回野外活動指導者講習会(正式名称不明。)におそらく50年前(正式実施時期不明)くらいに、イトウアキヒコ先生と同期で受講されています。(ヤノテルコ先生にうかがった話です。)
日本の野外救急法の第一人者であり草分けは、ヤノテルコ先生です。
当時から、ツルを利用した搬送、板や棒や竹を使ったそれ、ストッキングやキャンプまた急場でも身近にある物を使った止血やアイシングの講習をやっていました。
ツルや竹を使うなどは、おそらく欧米の方法では紹介されないかもしれません。
どの山にもあるわけではないからです。しかし、日本の山にはおよそツルがある。
直輸入を訳してやるのと違い、戦後間もないころの状況もおそらく考え併せた何か方法を、ちゃんと実施されていた。
私に当時もうすこし力があれば、輸入に頼ることなく、日本の自然に合わせた独自かつ有益な方法を世に出すことが出来たかも知れません。
ま、今でも力は無いんで、しょうがないんすけどね。
なにしろ、当時の指導者たちは「おもしろがって掘り起こした」役でした。
今の指導者は「先人が掘り起こしたものを真似る」あるいは「掘り起こしたものを整理する」ことしかできていません。
新しいことなど、端末機が変わった程度の変遷だけだと思っていいでしょう。
徒弟制度が何に変わったか。
輪になってやったら歌ったあの時間は何に変わったか。
サンカクテントを設営する技術と意義が何に変わったか。
それだけ考えてみても、ほとんどの人にはちんぷんかんぷんでしょう。
あ、俺?俺はわかるよ。
なにしろ、若い頃からかばん持ちだったから。
古今東西古き良き時代、というのは「おもしろがって夢中だった人たちがやたら掘り起こした時代」のことかもしれません。
時代に合わせていくことは必要です。
同時に、おおもとは何だったのかを振り返って敬意と愛着を持って、今に合わせたいものです。
私がこうして語れるのは、そうした先達たちとの時間を無駄にしなかったからです。
先生方が私のキャンプ場に往来するに、ご自宅まで迎えに行っていました。
道中はほかにすることもなく、何しろ面白がって質問をし、話しを聞きました。
技術と実績がある人は、話がどんどん広がってね。楽しかったです。
そのリーダーシップガッシュクも昔から名前を変えてますが、今年で27回目を迎えます。
封筒のデザイン変えたってだけでこんな長く書いちゃってね。
読んでもちんぷんかんぷんでしょうけど、何人かは懐かしさと首が痛くなるほど頷いてくれているに違いないです。
技術は盗めと言われてんました。今でも同じです。
本当にそうしているだろうか。。
胸に手を当てなくてもわかると思います。
俺はほんとに盗むしかなかったし、今も盗めないならそれまでのヤツと思ってるのでなので、聞かれたりしない限り積極的に技術をあらわにすることもしません。
ケチですみませんか。
いやいや、盗む技術がねえんじゃねえの。
ザマミロ。
俺はどろぼうさながらなんでね。
ま、クイクイっとこうね。
ガメてばかり。
ガメる。
ってわかるかなあ。
