サンスペアシスタント列伝(15) - 後篇 | さんきちの「え~のんか~」

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ラジオ、乗り物、食を中心とした内容になるかと…。
ホームページもありますので、よろしかったらご覧ください

鶴光のオールナイトニッポン・サンデースペシャル(サンスペ)の歴史を彩った、18人の
アシスタントについての思い出です。
前回の続きで、松本明子のサンスペ卒業、その後をラジオを中心につらつらと書きます。

アシスタント卒業は、”トリオ・ザ・ゴミ解散式”というかたちで、サンスペ終了の前週(’85.9.29)に行われました。
鶴光師匠が感謝状を読み上げた後、3人にちなんだ記念品を贈呈。
松本明子は、黄色いカーネーションとサルのおもちゃをもらいます。
翌週の最終回も、新聞取材が来るほど大盛況のうちに終わりますが、ここからしばらくの間彼女にとって辛い時期が訪れます。
仕事が殆どなくなり、コンビニでバイトしたり、仕事に行くふりをして、国立の駅のベンチに一日中座り時間をつぶしたりと、涙無くしては語れない苦労の日々を送ります。

しかし、そんな彼女を救ったのもラジオでした。
1989年より始まったニッポン放送の昼ワイド番組”文夫と明子のラジオビバリー昼ズ”にアシスタントに抜擢されます。
ここで、高田文夫先生に鍛えられ、後々の活躍の基礎となる才能を磨いていきます。

その後、”ものまね王座決定戦”で、モノマネ女四天王としてバラドルの地位を確立。
”電波少年シリーズ”で松村邦洋とともに体当たりのMCを務め、人気がブレイクします。
ドラマは'95年に初主演し、NHK大河ドラマ、朝ドラでは名バイプレーヤーを演じることに。今では、メディアで見かけない日は無いほど、存在感を発揮しています。

そして、ついに2013年、30年前にアイドルとしての成功を夢見て旅立った高松へ、初のオリジナルアルバムを引っさげて凱旋します。

松本明子1

※詳しくはこちらのレポートをご覧ください。

私もライブに行きましたが、彼女のステージはデビュー時にとある学園祭で見ていらい。
当時は黄色いミニのワンピースで元気いっぱいステージを跳ね回っていましたが、落ち着いた感じの衣装でしっとり歌う姿に感慨ひとしおでした。
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最後に、さんきちの私見を少し。
彼女の今の人気の礎になったのは、やっぱりラジオではないかと思います。
特に、ビバリー昼ズでの高田先生との出会いが、大きな転換になったのではないかと。
さんきちはビバリーを初期の頃から聞いていますが、高田先生は芸の良し悪しから礼儀まで丁寧に教え、時に彼女がハメを外すことがあると、本番中にもかかわらず厳しくたしなめることもありました。
サンスペでは少しうわついた感じもありましたが、ビバリーを通じて自分のポジションを確かなものにしていったのだと思います。
とはいえ、サンスペでのノビノビした感じも良かったですが・・・

トンガリクラブ(デビュー時のファンクラブ)の同窓会イベントなどあれば、行ってみたいですね。

end