気づきは突然やってくる。心と体のコーディネーター、ちばつかさのブログ。 -2ページ目

気づきは突然やってくる。心と体のコーディネーター、ちばつかさのブログ。

なんだかわからないうちに、気づいてたり発見すること。
心と体のコーディネーターが感じる日々のことを書いてます。

なにかの気づきやきっかけになりますように。

先日の石川動物園にて。
見事なまでの堕落感。
しかもめっちゃ幸せそうな表情。

この姿を、お金払って観に来る人間にさらしているからステキ。

このチンパンジーさん含め、僕の周りにはやたらとすごい人がたくさんいます。

全員のすごい力をもらったら、世界を平和にできるんじゃないかって思うくらいすごい人たちばかりだなぁって思う。

ビジネスで成功してたり、スクールで子どもたちがたくさん集まってきたり、学生だけど街の活動に参加したり。勤続何年って会社に勤めてたり。

僕には到底できそうにないことしてる。
本当にすごいなぁと思う。

そんな人たちをみて昔だったら確実に

俺もすごい。負けてない。これくらいできる。

なんて思って精神的なマウントを取りに行こうとしてたと思うし、トゲを持ってグサグサと刺しにいってた。
きっと根拠のない自信に常に包まれていたかったんだと思います。

見栄の塊。承認欲求。いろんなもので包まれて存在価値を追い求めてました。

むかーしのブログやらFacebookをみるとよくわかる笑

今年40歳になります。

なんだか歳をとったせいか、自信がなくなってきたんですよね。

“なくなった“って言うとマイナスっぽく聴こえるけど、なくなったと言うより

消えた

って言葉のほうがいいかな。

「自信」の意味がわからなくなったんです。
ビックリするくらいに。

「自信」
自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。「自信を失う」「自信満々」

自信ばかりがあると他人のことをどう見るのか?

これってめちゃめちゃ態度や行動、発言に出るんです。

人に指図したり、マウント取りにいこうとしたり、知らぬ間にそれが出ちゃうからいろんなものを吸収できなくなる。

人に文句言う、批判する。そんな態度も自分が正しいと思うからこそのことなのかな。

前は妻が飲み過ぎて暴走すると、めっちゃイライラしてキレてたけど、それもなんだか可愛らしく思えてきて(先日ご迷惑をおかけしたみなさん、すいません笑)

自信が消えた瞬間から、なんだか世界が柔らかくなりました。

「えっ、自信ないんですか?」

って言われてもいまは

「んー、自信がなんだかよくわからないんだけど、とりあえず当たり前のことを当たり前にやってみてる」

としか言いようがなくなってしまった。

「仕事での成功は自信になりますか?」

って言われてもよくわからない笑

ただやっぱり言えるのは
自信なんてないほうが、世界が丸く柔らかく見えてるのは本当のこと。

まるで水のようにいつでも何にでも変化しながら、ただただ「透明」でいると見えるものが違うんですよね。

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ついつい頑張りすぎて体を壊すってことはあって、しかもいつも後悔するんだけど何回も繰り返してしまいます。

二日酔いに何回後悔したことか。

自分の体はもちろんのこと、心もそうだし、物もそうだし、いつも思うのは

なくした時とか壊れた時の喪失感を、先に経験できないものかな

って。

先に経験できたら

「あー、こんな思いは経験したくないから気をつけなきゃ」

って思うことができるでしょ。

でも、そんなことはできません。
だから、経験者からきいたり想像を働かすしかないんですよね。

戦争を体験した人もどんどんと減る中で
「二度と戦争はしちゃダメ」って思えるのは、なんだか怖そうで、生活が一変してしまうんじゃないかって“想像“できるから。

だからね。

壊れたら嫌なもの
失ったら嫌なもの

それは早めに想像しといて予防や対策をしなきゃいけないんだと思うんです。

お金を失うのが怖いから貯金をするように。

でもどうしても、自分のことになると無理しちゃうし、人間関係のことになると本音で話したりできないから後回しになって、でも気づいたら壊れていて。

嫌なことほど早めにやっておくと後が楽っていうのは人生生きてきた中で経験しました。

最初は何やるんだって苦しいんだけど、それは最初だけで慣れてしまえばなんてことないわけです。

僕たち夫婦は、一年目、二年目くらいまでが一番しんどくて、あとは本音で話してきたから楽になりました。

貯金もなかったし、知恵も経験もなかったし、まさに結婚がスタートだった。

一般的なイメージだと、結婚ってキラキラ輝いてて、幸せでってものなのかもしれないけど、そのイメージは持たないほうがいいです。

結婚なんて作られたものを買うわけじゃなく、2人の形を作っていくものなんだから。


昨日、釣ってきた魚を捌きました。
アジとシロギス。

最高に美味しかった。

こんな何気ない日々を失いたくないから僕は妻と子どもたち、それから何気ない瞬間だけを大切にしたいと思うのです。

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新宿・鳳仙花のラーメン。

ラーメンを食べながらいつもお話をさせてもらう。いろんなことのシェアや自分の学びの確認をするんですがその時感じたことを今日はブログでシェアしようと思います。

今年40歳になるんだけど、何事もなくこの先もし生きるのであれば約半分の人生を生きてきたことになります。

小学生の時から心と向き合い続けてきたから、なんとなく自分のことは操縦できるようになってきて、特に深く悩むことなく、円形脱毛も頻繁に起きることもなく年々心は穏やかに平静なものになってきているけど、ふと思ったんです。

じゃあ、この先何が起こる??

世の中の出来事に対してどう感じるかはすべて自分が決めているんだけど、その操縦をある程度できるようになったり、あのどん底の世界からある程度いろんなものを獲得してきた今、そしてこれから、何が起きるのかな?って考えたんです。

その答え。答えというか予想なんだけど。

世の原理原則としては

獲得したあとは、一気に、もしくは徐々に失う

ことなんだろうなって。
美味しいラーメンも食べてしまえばなくなってしまう。

もちろん、死ぬまで知識や経験は得ることができるし、お金も使い方さえ間違わなければ獲得するんだろうって。

その分、失うことも増えます。
例えば……

・体力はどうしても衰えるね
・年齢的に親や友人、愛する人、そしていつかは自分の命を失うね
・子育てが終われば子育てという経験は失うね
・死に近づくのなら有限である人生は徐々に失っていくね
・経験が増えれば純粋な気持ちや謙虚な気持ちを見失うかもしれないね
etc…

とにかくいろんなものを失うってことが出てくるのかも。

それは破壊的な瞬間的な喪失だったり
石が水滴によって穴が空くようなゆっくりしたものだったり

形作られたものは必ず失う方向へと向かうんだねって思うんです。

この大分の石仏だって、自然とともになくなっていく。

人間も時間とともになくなっていく。

「だからなんだ?」って話なんだけど、失うってことを知っていると行動が変わるのかなって思うんです。

目の前にいる大切な人やものがなくなることを知っていたら、行動は変わると思うし。

時間が有限であることを知れば、扱い方も変わるだろうし。

人って得ることばかりを考えるんだけど、失うこと、失われるものに着目することがいかに大事なのかってことが最近になってよくわかるようになりました。

今日一日を終えれば、僕の人生も一日失うことになります。

今日も24時間86400秒を余すことなく使い切れたらいいなって思います。


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21歳くらいの時に借金を背負った。
その額1000万円。

僕はこの-1000万で心を失って死のうと思いました。

今思えば借金ごときで命を捨てようなんて、なんてアホらしいことなんだって思えるけど、当時はとにかく闇でしかなくて。

人は離れていったし、自分は荒れていたし。
いや、荒れていたから人が離れたのかな。

空はいつも通りに青くて、いつも通りに鳥は鳴いてるし、いつも通りに酸素も吸えているのに「借金」という状況に心を失って。

まぁ結局死ねなくて
「死のうと思うくらいなら、死ぬ気でやってきたことと反対のことしよう」と思って、

「ありがとう」すら言えなかったから「ありがとう」って思うようにしたり、大学で勉強サボって中退したから勉強しようと思って本を読みあさって。

あの時になんとなく
「あぁ、お金で買えないものってあるんだなぁ」って気づき始めたのかも。

だって、借金はまだあったのになぜか日々が充実してたから。

昨日この「億男」っていう映画を観たんですけど、まさにこんな感覚でした。

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あれからお金についてものすごく考えるようになったし、お金で変わる人もたくさんみたし、あのゴミ屋敷って言われたおじさんから、資産何百億って人まで会ったりして。

でも、どんな肩書だろうが、どんな金持ちだろうが、人間は人間なんだって思ったんです。

あれ、でもこのおじさんも資産家の息子だったっけ。

人は失墜した時にこそ人間性が生まれる

そう思うし
失墜した時にそばにいてくれた人こそ、本当の支援者だし、失墜した時にこそ人となりがでるし。

お金持とうがお金なかろうが、人間性が全然変わらない人に僕は憧れます。
めちゃめちゃ魅力的に感じる。

負けた人が強いって思うのも、負けを知ってるからなんだと思います。

負けるってめちゃめちゃダサくてカッコ悪いし、人は離れていくし。

負けたくない、カッコ悪いところ見せたくないからカッコつけることほどダサいことはないなって昔の自分に言ってやりたい笑

結局、お金って素晴らしい道具なんだけど、それに惑わされてオカシクなるのは人間なんだっていうのは、もうすぐ2歳になる娘をみてていつも思います。

この子にはお金なんか関係なく世界を楽しんでいるなって。

大人になるにつれていつにまにか
妬んで恨んで心壊して。ダサい。ダサすぎる。

そんなことを思った映画鑑賞。
お金に振り回されてしまう人は観て損はないと思うのでぜひ。








小学生の頃、釣り番組にハマってずっと海釣りに行きたかったんだけど、東京で
「さぁ、釣りに行くぞ!」ってなると気合いを入れないと行けませんでした。

結局、川釣りとか渓流釣り止まりで海釣りはできませんでしたが、福井に来て小学生の時の夢というか憧れというかが叶っています。

なんて楽しいんだ。

釣りもすぐ行ける、ゴルフも15分で行けるし安い。自然を眺めてぼーっとできる。
すぐにBBQできる。ドラム叩いても誰も怒鳴り込んでこない。

やりたいことをお金かけずに簡単にできるってなんて素晴らしい環境なんだって思います。

生活コストほんとかからない。

妻がお休みの時は、2人で「無」になりながら釣りに。
ゆったりとした時間、焦りのない心、そして40歳。そんないろんなものが重なって、最近

「怒り」という感情を忘れました。
昔だったらキレるなってことも受け流せるし、仕事がらむしろ

「なんでそんなに怒っているんだろう」

と冷静に相手のストーリーを読もうとします。

というか、相手のストーリーを読むためには、自分が怒ってたら確実に読めないし。


なにに対しても怒らなくなってしまった。
と同時に、笑顔が増えて我ながらに心がまた丸くなってきた気がします。

僕が怒らないから妻や子ども、義父母も僕に対して怒らなくなりました。

そうなると家族にも笑顔が増えます。

若い年代からの相談が増えてきたんだけど、
「あぁ、昔は僕も尖ってたし偉そうにしてたな」と感じるってことは歳とってなんとなく俯瞰的に自分を見てるんだなって。

成功したい!金稼ぎたい!影響力持ちたい!
なんて思えば思うほど、日々に対してイラついてたし他人に対しても冷たかったと思います。

でもいつのまにかそんなのが恥ずかしく思うようになって、疲れることを知って。

いろんなものを諦めて手放しました。

きっと、歳をとるにつれてゆったり、人生の時間をじっくり味わいながら生きたいんだと思うし、そうでないと人の相談なんか聴けないんだろうって感じています。

本来ならまだまだバリバリと働いて、
「人生稼いでなんぼじゃ!」みたいなのかもしれないし、僕だってお金はないよりあったほうがいいなって思うし、ビジネスで成功してる人、上手にお金を回してる人を見てて「すごいなー」って思うんだけど、どうしても重い腰が上がらない笑

「まぁいっか、これで」ってなっちゃう。

死ぬまで、自分の描きたい絵を描いていたい。それに価値がつくかどうかは知らないけど。

相談を受けていて思うのは、みんな負の部分を隠すために自分の「正」を上塗りしてる気がします。

「負」を理解していないのに「正」を上塗りすると、いざって時に負が体と心を蝕むからです。

芯が腐った果実は、いくら外に栄養を与えても成熟しない。

ダメな自分を認めて諦めた先に、負が自分を守ってることに気づきます。だからきっと僕は怒ることを忘れたんだと思います。

自分を許せないから、他人も許せない。

そう思います。

諦めなきゃいけないことと
諦めずに頑張れることは

自分自身のキャパシティを知らないとそもそも目標設定すらできないし。

そのためにはまず、「負」という自分の欠陥部分を知らなければいけないんだろうなって思うのです。

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