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「泣くならトイレで泣け!トイレで泣くな!」インタビュー1/3

 

 

厳しくも華やかで楽しい宝塚歌劇団の衣装を10年間務め退職した福田さん。

小さい頃はどの様な子だったのか?声優になったきっかけは?

 

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【将来の夢は?「声優さんです。」】

 

 

小学生の時は一人遊びが好きだったんです。絵本書いたりだとか、小さい瓶の中におり紙でお花を作ってボトルシップみたいな感じにしたりとか、チラシを切り抜いたりだとかしていました。」

 

「祖母が良く演劇に連れて行ってくれていたけど、自分がプレイヤーになるとは思っていませんでした。小3の時にアニメブームがあったんですよ。宇宙戦艦ヤマトとか。その時に友達がアニメの雑誌を良く買っていて、それをみて声優さんの存在を知りました。『ドラえもんて人が声を出しているんだ!』とその時はじめて知って、『声を出す人がいるのか。やってみたい!』と思ったんです。でもそれは『ケーキ屋さんになりたい。』といった類のもので、絶対にやってやると言う感じではなかったですね。」

 

「アニメグッズを売っているお店でやる声優さんの握手会にいったり、ラジオを聞いたりしていました。やっぱり直接会ったり握手すると憧れや興味がわいてきますよね。」

 

しかし、中高はソフトボール部入部。その後宝塚へと入社。声優はアイドルと一緒で、手を伸ばせばなれるものとは思っていなかったようだ。

 

 

【淡い夢だった声優への道が開けた】

 

 

「声優の養成校は2年間。活舌・アクセント・dance・身体感覚・ソルフェージュ・ドラムなどやりました。リズム感が無いとセリフってタドタドしくなるんですよ。でも私はピアノもダンスもやったことなくて。」

 

この時の同期は20人、2年次には15人、そして卒業後プロダクションのオーディションに受かったら東京へ出てこれるというこれまた狭き門。

 

卒業後に受かったのは5人。なんとその中に福田さんも入っていた。

 

「ジュニア⇒準所属⇒正所属というランクがあるんですけど、年数でなく実力次第で変わるんです。洋画・アニメ・報道・ワイドショーのナレーション・CMとかに分かれるんですけど。私は主に朝のワイドショーや商品説明映像のナレーション、CMなどをやっていました。ケンタッキーとかヤクルトとか。洋画やアニメも時々やることはありましたね。イソップワールド(テレビ東京系列)のフェレット役とかですね。」

 

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「自分の声を出しているのに自分と知られないのが良かった。自分に自信が無かったので、当時の私にとっては好都合でした。」  

 

声のケアはどの様にしていたのだろうか?

 

「音楽療法士の先生の所でボイストレーニング受けてました。あとは、なんせうがい乾燥させないようにマスク・吸入器を持ち歩いたりとかしてました。それでも朗読劇1週間前に声が出なくなってしまったことがあって、有楽町の方にミュージカルの方達もくる耳鼻科があるんですよ、そこの先生は本当に優れてらっしゃって、注射と吸入で何とか治しましたね。」

 

小さい頃からの何気ない夢が叶い、楽しかったという福田さん。しかし仕事となるとそれだけでは済まない。

 

 

【声優界の現実】

 

 

お仕事をもらうのは大変でした。マネージャーさんていうのが私のマネージャーではなくアニメ担当・TBS担当・フジテレビ担当と言う感じでいるんです。そこに売り込みに行くんですよ。『私こういうこと出来るんですけど、何かに使って下さい。』みたいな。あの頃はテープに録音して持っていくんですけど『今時間ない、聞いとく聞いとく。』みたいな。いつまでもそのテープがマネージャーの席にあるみたいな。聞いてすらもらえない。飲み会にいってまず仲良くなって、それから聞いてもらうという感じでしたね。」

 

実は当時、声優をやりながら女性4人で劇団をつくってお芝居もやっていた。その間なんと8年。声優と劇団を平行して走り続けた。

 

「おかげさまで、そのころはアルバイトをしなくてやっていけていました。最初はそれで良いんですけど、アーティストもアスリートも困っているのが歳を取ってくるとだんだん仕事が無くなってくることだと思います。8年間くらいは大丈夫だったんですけど、こちらのギャラも上がって来るしオーディションも受けたいと思ってもマネージャーがセッティングしない限りは受けられない。顔をつないでおかないとオーディションさえはいってこない。」

 

「仕事が入ってこなくなり、アルバイトをしようと思って手作りの洋服を売っていたところでお店番を始めたんです。そうしたらそこで『鞄つくってみない?』と言って頂いて、2年間お店番と鞄つくりをしていました。」

 

いよいよ声優の仕事が無くなって来たころ、ある決断をする。

 

「声優の仕事も少なくなってきて、セクハラが多くなってきたんですよ。テープも聞いてもらえないし、セクハラも受けて深く深く傷付いていったんですよね。事務所に行っても壁の花と言うか、仕事は欲しいんだけれどもしゃべりかけられないというか、どうせ言っても断られるし。凄いんですよ芸能界って、売れているときは「あ~何々さ~ん」ていう感じなんですけど。売れなくなった瞬間に掌を返したように見向きもされなくなるんです。売れている時は現れただけで「わぁ~!」って感んじなんですけど。」

 

自らの劇団は解散し、声優事務所でのセクハラは悪化、仕事無しの状況に「私は必要とされていないんじゃないか。」と深く傷つき、病んできてしまった福田さん。そんな時お店番をしていたアルバイト先の方に「接客業に向いていると思うんだけど。」と言ってもらい、求人情報誌を読みブランド洋服店に入社した。

 

「私は傷付いて、リハビリのために仕事に就いたので仕事しかやることが無かったんですよ。それで仕事に没頭したら店長になったんです。それが40歳くらいの時ですかね。他にやる事ないので、洋服の仕事やってて凄く楽しかったんですよ。お客様やマネキンの洋服のコーディネートをしたり、自分が作ったものでは無い1着10万円とかするセーターを販売したり、初めての経験だったので。」

 

結局、持ち前の行動力で店長まで勤めた福田さん。

それにしても宝塚歌劇団の衣装さん、声優、アパレル店長と狭き門を潜り抜ける底力の持ち主で、周りからは一見成功を収めているように見える福田さん。なぜそんなに自信がないのか?そこから心理セラピストへと転身するにはどんな思いがあったのか

 

次回、次世代アーティスト&アスリート必見!心と声をつなげる心理セラピスト福田さんの誕生秘話

 

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