金曜日の正午過ぎ、唐突に総裁選不出馬が報じられた菅義偉首相。

 

その直後、日経平均株価が急騰し、先物も大幅続伸していることを鑑みると、

 

日本にとって「朗報」であったと見てよいのではないでしょうか。

 

私自身、出身大学が同じだったこともあって、菅総理には大変期待していたのですが、

 

期待はやがて失望へと変容してしまいました…。

 

官房長官時代、抜群の「安定感」を醸し出していた氏の淡々とした語り口は、

 

首相としてはむしろ逆効果で、「頼りがいのなさ」が際立ってしまったように思います。

 

実際問題、ガースーがリーダーシップを発揮したように感じられたのは、

 

政権発足直後、日本学術会議に巣食う反日分子の承認を突っ撥ねたことくらい。

 

振り返ってみると、あの時にマスコミと左翼界隈から猛バッシングを受けたことがきっかけで、

 

以降、(彼の中で)「無難な」選択肢をチョイスするようになったのではないかと、愚考します。

 

もっとも、コロナ禍という特殊な環境の中、国政の舵取りは困難を極めたことでしょう。

 

そんな中、驚異的なスピードでワクチン接種を推進できたのは、菅総理の特筆に値する功績にほかなりません。

 

しかしながら、せっかくワクチン接種が順調に普及していったにもかかわらず、

 

メディアが「デルタ株」の脅威を殊更に強調したがゆえに、

 

「ワクチンを打っても、マスクは欠かせない」

 

などと、大衆心理が改善することがはありませんでした。

 

まさに、それこそがあらゆる功績を帳消しにして余りある菅総理最大の「罪」。

 

就任当初、コロナ対策を再優先課題に挙げ、「安倍政権のやり方を踏襲する」と明言していたというのに、

 

蓋を開けてみれば、言行不一致も甚だしい。

 

具体的に申しますと、安倍政権時の「ウィズコロナ」路線から、「ゼロコロナ」路線へと政策が180度転換してしまったのです。

 

その結果、巷に蔓延る新型コロナヒステリーは悪化の一途をたどり、

 

日常回帰に向けたあらゆる言動は、「けしからんもの」として糾弾されるようになってしまいました。

 

あくまで個人的な考えですけど、

 

Goto停止も、オリパラの無観客開催も、学校のオンライン授業も、不必要であったと確信してやみません。

 

なぜなら、ワクチン接種が普及したことにより、高齢者層の死者・重症者は激減し、

 

現役世代の重症化率は依然として1%にも満たない。

 

「デルタ株ガー!」「後遺症ガー!」とメディアと医師会が喚き散らしているのとは裏腹に、

 

多くの人は、切迫した脅威など微塵も感じていないのは明らかでしょう。

 

医師会が提唱するコロナ対策を批判する長尾和宏先生は、

 

現状を「軽症者は重症化するまで放置されている状態」と指摘し、感染症法による分類を2類から5類へと引き下げ、

 

インフルエンザ同様、軽症のうちに誰もが町医者で診察を受けられるようにすべきと訴えています。

 

事実、大半は風邪と同様の症状で済んでしまう新型コロナを、

 

エボラ熱等の致命的な疫病と同列に扱い、病床が足りないとパニックを煽っているんですから、

 

その態様に疑問を抱かない方がどうかしています。

 

尾身率いる専門家集団は、しきりに「非常事態」だと繰り返しますが、

 

百歩譲って、感染症の専門家が流行拡大阻止を最優先に考えるのは解らんでもありません。

 

しかしながら、政治家たるもの、様々な要因を勘案し、国益に適う最適な施策を断行すべき。

 

そういう意味で、ガースーは尾身のご託宣を追認するばかりで、医師会の傀儡に成り下がったといっても過言ではないでしょう。

 

先日も、尾身が

 

「ワクチン接種済みの者は、秋ごろから旅行を容認してもよい」

 

などと、上から目線で発言しておったようですが、思い上がりも甚だしい。

 

選挙で信任を得たわけでもない老人風情が、国体の在り方に不躾に口を挟む。

 

こんなマッドサイエンティストを崇拝する連中が少なくないことに、私は空恐ろしさを感じてやみませんよ。

 

 

話が著しく脱線してしまいましたが、最後にひとつ。

 

ガースーなき後の自民党総裁が誰になるにせよ、衆院選を経て次期首相に就任した暁には、

 

揺るぎない信念を以て、真に国民の為になる政策を粛々と遂行していっていただきたいもの。

 

コロナ禍で完全に狂ってしまった世の中の狂騒に歯止めをかけないと、

 

近い将来、日本は亡国の危機に瀕するのではないかと憂慮しています。

 

まさに、今が故国再生へのラストチャンス。

 

ピノキオの再来だけは、御免被りたいところです。

 

 

(2264番目の主張)