辰野町消防団第七分団 -54ページ目

春季訓練

本年は御柱があったため本日

辰野町消防団、辰野町赤十字奉仕団の『春季訓練』が行われました。



荒神山の野球場には早朝より各分団が続々と集合

スッキリと晴れ渡った青い空がまぶしく気も引き締まりました。



辰野町消防団第七分団
各分団の分団旗

整然と並ぶ姿はいつ見てもカッコいいものです




辰野町消防団第七分団

訓練開始前には緊張感ある中にも談笑


喇叭手の舞台集合の音と共に訓練は開始されました。。。。。


規律厳正、キビキビとした緊張感の有る有意義な訓練となりました。



訓練の画像があればもっと伝えられたのですが

編集しております私も隊の中に入り訓練に参加しておりました。


法性神社御柱祭警戒

天下に謳われた大祭


御柱際


第7分団の管内の『法性神社』でも行われました



団員の大部分は青年会や騎馬行列、お囃子、踊りなどで祭り参加のため

共に竜東地区を守る六分団のご協力を得て柱が無事に曳行されるように警戒に当たりました


辰野町消防団第七分団

朝早くから七分団屯所へ集合しこれから柱の警戒、管内警備、巡回と

各分担に別れ警戒開始いたします。



辰野町消防団第七分団

これから平出区内へ曳行出発です!

辰野町消防団第七分団

木遣りも高らかに区内に響き渡り祭りを盛り上げます。


辰野町消防団第七分団

休憩中には青年会の踊りも披露され疲れた身体に一時の癒し



辰野町消防団第七分団



辰野町消防団第七分団

伝統の騎馬行列



辰野町消防団第七分団

神社境内に柱が到着しこれから建御柱となります。




法性と書いて「ほっしょう」と読む

ほうせいと間違える方も多いようですね


『歴史の道調査報告書』によると。。。。

延暦二十一年(802)坂上田村麻呂が東征のとき伊那に五社を造営した、その一つであると伝承を持つ。

元暦二年(1185)信濃権守大祝盛高の再建文書の写(平出区蔵)「伊那平井弖里神祠新造之号里宮社」が残っている。

弘治二年(1556)に武田春信(信玄)が再建し壱貫弐百文を寄進する。

社殿は数度建替えが行われたが、明治十一年の時の本殿。龍の彫刻は平出の中村清之丞の作である。

寛政八年(1796)には吉田家へ願い、諏訪法性大明神の社号をうけた。

諏訪神社の分社であるこの神社御柱大祭には、奉納騎馬行列が行われ、昭和四十九年町文化財として指定された。


とあります。


辞令交付

平成22年度も始まりました。

新分団長の元、新たな体制にていよいよ稼動です。



辰野町、また第七分団のある平出区の方々が安心して暮らせるように

火災を起こさせない予防消防に邁進していく所存です。


『自分達の町は自ら守る』

その精神を忘れずに活動していきたいと思います







さて、本日は辞令交付式

第七分団からも幹部、新任班長、新入団員が消防署、役場にて辞令交付を受けました


しかし、新入団員が今年はなんと4名も仲間に加わりました!!

このご時世に仲間になってくれることに感謝カンゲキ雨、嵐?


町の辞令交付に続きまして分団屯所にて分団内にて辞令交付を行いました

分団長より辞令をいただきました。


辰野町消防団第七分団

まずは新任班長から!

本年度は2名の新任班長が幹部として加わりました。

元気に団員を引っ張って行ってくれることでしょう



辰野町消防団第七分団

次に新入団員
やっぱりまだ作業着が板についていない気もしますが

若い元気なパワーを第七分団に注いでくれることを大いに期待しています。




本年度もよろしくお願いいたします。




。。編集後記。。


22年度は新たな広報班長が任を受けております。

新たな風をこのBLOGにも注ぎ込んでくれるものと思います。

しばらくは21年度広報班長も更新を行っていきますのでまだまだお付き合いください。