今度は岩瀧山を探す必要がありますが、コレはすぐに分かりました、倉敷市の歴史資料整備室に小字を記録した資料が作られていましたので、それを写真に撮ったものがこれです。

 

 こんな感じでしょうか、このどこかにシャカラ龍王の宮、「龍宮」があったと思います、「磐座群」や「天石門別保布羅神社」、この画面にはありませんが天石門別保布羅神社とほぼ同じ場所に「石洞神社」というのが出てきます。

 

 おおむね、この二カ所のどちらか、もしくは両方が龍宮だったと考えられます。

 

 後は現地調査ですね!(笑)

 

 次は「古代の王島」です、これも小字をプロットした地図を写真に撮りましたので場所はすぐに分かってホクホクしました。

 

 これを古代の島のようすに戻しプロットするとこうなります。

 注目すべきは「猿子(サルボ)」でしょう! なんと飛騨高山のお土産で有名な「サルボボ」と同じ用法の地名が残されていました!

 飛騨の方言で「猿の赤ん坊」という意味だと書いていますので、意味も全く同じになります、こうなれば古代日本語というべきなのか、猿田彦系(アイヌ)系の単語というべきなのか判断に迷いますが、単語と意味が残っている先で言葉というのは記録されます。

 

アイヌに単独であれば・・・アイヌ語

韓国にあれば・・・・・・・韓国語

飛騨地方にあれば・・・・・飛騨の方言

愛媛にあれば・・・・・・・愛媛の方言

 

児島周辺に残る古代の地名や山名をもう一度列挙すると、

 

①シカマ山

 シカマ=鴨 ・・・・ アイヌ語(?)

②タコラ山

 タコラ=竹の皮 ・・ 愛媛の方言

③猿子(サルボ)

 サルボ=猿の子 ・・ 飛騨の方言

④チキリ峰

 チキリ=足 ・・・・ アイヌ語

⑤茶ドラ山

 チャドラ=石英 ・・ 韓国語

⑥琴弾地(こたんじ)

 コタン=アイヌの集落 アイヌ語+現代語

 

となりまして、まとめて「古代日本語」とするべきなんだろうと思います。(誰がするの?)

 

 ここまで気付くと「児島」の「小字」にはもっと情報が残されている事が誰でも思いつくと思います、もちろん私がしても良いのですが、それは学術的な研究であり、私も興味まではありますが、ご先祖の研究ではないので、あまり食指は動かない作業になります。

 

 研究をしていると、そんなのばっかり出てきますが、大学などの公的機関はこのような基礎研究をちゃんとしてほしいと思います、税金を使って社会貢献すべき機関なのですから、民間の研究者の方が短期間で遙か先に進んでいることを恥じてもらいたいですね。

 

 それで王島ですが、誰がいたのか? おそらくは「猿田彦」だと思います。

 

 龍宮との位置関係は?

 

 見ての通りで、シャカラ龍王が引っ越して来てから王島に拠点を移したと考えられます、また両者が仲良くしていた証拠でもあろうと思います。

 

 はぁ~やっと龍宮城を見つけた気分になりました。(王様が認める龍宮なら、それが龍宮城でしょう!)

 

 岡山県の研究が進んでいなかった為、古代史の研究が滞っていた事は事実でしょう、私がした通りで「お金を掛けずに研究成果」は出せる事を証明してみました、政治家公的機関は大いに反省すべきで、出来る人を選任すべきだと思います。(出来るからといって、したいとは限らないのが要注意ですけどね。(笑))

 龍海