昭和53年(1978年)・夏の甲子園、優勝候補は天理、中京、箕島、天理、報徳学園、高知商など、どこが勝ってもおかしくない大会だった。
 

長崎県大会決勝は我が母校・壱岐vs佐世保工、圧倒的な力でねじ伏せられた。
壱岐商も一度、長崎県大会決勝まで行っている。

佐世保工の投手は白武⇒広島カープである。

この大会には早くして亡くなった快速球投手、南陽工・津田恒美投手もいた。
横浜には愛甲、安西が一年生コンビとして出場していた。僕が応援していたのは中京。
いつも何はともあれ「中京」&「横浜」なのである。
 

順当に優勝候補は勝ち上がり、準決勝は高知商vs岡山東商、中京vsPL学園、当時PL学園はそこまでの強豪校という評価はなかった。

高知商は順当に勝ち上がり、中京vsPL学園9回表4-0で中京リード。
僕は大丈夫だろうと思い安心しきって、ちょっと麦茶を飲みに家に帰った。
高校野球は地区の川崎晋吾くん家で見るのが恒例になっていた(別にうちにテレビがなかったわけではない(笑))。だいたい小学校1年くらいから高校生くらいまで。なんか歓声が聞こえてきたので走って戻った。スコアを見ると4-4。頭がくらくらしてきた。延長12回裏、PL学園の攻撃、ツーアウト満塁。ピッチャー武藤が投げたボールに審判は「ボール!!」、「あ~、夏が終わった」、どっと疲れが。小生意気な小学校三年生である。

高知商は順当に決勝に上がって来た。ピッチャーはのち阪急にいく2年生投手・森浩二。



前評判は圧倒的に高知商だった。2-0高知商リードで迎えた9回裏、何気に寒気が走った。あれよあれよという間に柳川選手のサヨナラツーベースヒット!!

高知商・森浩二投手はあっけに取られたというか、何が起こった?みたいな顔をしてた。泣き崩れるということもなく本当に「何が起こった?」


この大会で中京、高知商に奇跡とも言える逆転サヨナラ勝ちをしたPL学園は「逆転の報徳」から「逆転のPL」に変えた。
ここからPLの黄金時代が少しずつ始まっていく。

 


 

考えれば数年後気づいたのが

PL学園バッテリーは西田(広島)と木戸(阪神)、2年生に法政大を出て広島に入団した小早川毅彦もいた。

評論家も見抜けなかったわけだよね(笑)