僕は無料ブログなど様々なSNS系のプロフィールに自然と「夢の島」と書いていた。島にいる時は当時、壱岐「郡」というのにコンプレックスを抱いていた。でも小学校18のコミュニティがあり、その勝本町勝本浦という勝本小学校に対して非常になぜか誇りを持っていたし、持っている。勝本町を一括にされると嫌だった。都市部の方からみれば馬鹿らしい5万程度の田舎の離島でしかない。そして、勝本弁と辰の島にも誇りにしていた。学校があるときは友達と遊び、夏休みは住んでいる地区の小学生、中学生(中学生の夜の部には小学生は参加しない、できない)。1vs17という勝本弁vs壱州弁でも壱州弁を喋る方たちを「こん!田舎もんが!」という団塊世代くらいの人たちまで。僕らはそこまではない。


福岡市に出た瞬間、寂しさを感じたのは最初の一晩だけだった気がする。他の中学出身の福大に行った奴らより福岡市及び那珂川町(現・那珂川市)に行ったりと変に福岡慣れしてたと思う。JRには縁遠く、苦手というか小倉方面行きなど「方面」って何?小倉まで行くのか?快速と特急との違いは?そういえば西鉄が多かったので急行、特急も理解できた。他県から来られた方などは「なんで普通、急行、特急が料金同じ?」そういやそうだ。また中学二年の時に4ヶ月(二学期全部)の入院生活はあとから考えるといい経験だったと思う。誰にも言ったことはないが、勝本弁が通じないとわかると女の子や同年代の子たちと喋るときは従兄弟、従姉妹たちが喋っていた記憶にある「博多弁」を喋った。だんだん会話になっていったから、今、考えると14歳くらいって頭やわらかいんだな。と思う。


壱岐という島は4町からなり、郡時代からホテル、県の支庁(現・振興局)などはほとんど郷ノ浦町で繁華街も郷ノ浦町、石田町は合併以前からまとまりがいいという話しをよく聞いた。
芦辺町はコミュニティが複雑であそこも芦辺町かというほど広いんだと思う。1993年か1994年ダイエー(現・イオン)が芦辺町に来てから様相が変わったんじゃないだろうか?当時の郷ノ浦町商工会の建設反対運動はすごかったと聞く。流行りはすぐ終わると思ったらしいが、今は高齢者向けに週に一度、送迎バスも出しているみたい。これで勝本の漁師が豊漁で郷ノ浦の繁華街でお金を落とす構図は崩れていったと思う。


Uターンすると夢の島が変わっていた。確かに外から見てるとよくても中にはいると?いや、違う。関係各所に一年目には低姿勢だったが、二年目から変わったけど、どこも隷属的というか、イルカパークでことを起こしてしまい、警察から出入り禁止(イルカパークの要望とのこと)命令。
ちょっと勝本浦の漁業の話を組合員数800超、4~7t船、19t船、で750船くらい。PRの場面では「800艘の一本釣り!」とちょっと話は盛ってます。19t船は金沢、小樽のイカ釣り漁船。一億円プレイヤーも出ていたと思います。4~7t船七里ヶ曽根という漁場を、荒くれた方々でも守ってきた。80年代後半、僕は夏休みに漁協の人夫のバイトをした。なぜかわからないが漁協の人は僕に優しかった。あとで気づいた。その優しい方々は親父が亡くなった頃、僕を可愛がってくれた方々だった。入港するおじさん達も「おー!拓也か!アルバイトか!頑張れよ!」、「うん!」イカの荷揚げ20箱挙げると肩と腕はパンパン!19t船に乗ってる同級生は一晩に200箱くらい。ひと夏越して帰って来た頃は体が違って帰ってくる。当時、競りが始まるのは雰囲気でわかる。競り師と仲買の殺気が、周りは活気が競り師は僕の父親代わりというか尊敬している。始まると何言ってるかわかんないけど、たまに止まる瞬間が怖い。「送り!」だったと思う。「お前らには売らない」という意味だと思う。舐められたら駄目なのである。当時、日本のスルメイカの値段は彼が決めていたらしい。競りは西から始まる。築地も従う。ちなみに実子はセンター試験の前日まで浜帳(どこに、いくらで、何箱)を競り師の後ろからついていって記帳する。間違いでもしょうものなら・・・。
主な魚はブリ、タイ、イカ、シビ(今、ヨコワ?)、まだ種類はあると思う。
だから、漁獲高1位は北海道、2位は長崎県、そして長崎県の県下一だったわけである。
20年ほど前から太平洋クロマグロが連れ始め、築地の初値を競ったり、初値を取ったりしている。最初、Yahooトピックスに出て、ビックリして思わず、漁協に務める従兄弟に電話してしまった。

福岡市民だった頃、Facebookページ「太平洋クロマグロ資源を守る会?」というのが出来ていて内容を読むと「いいね」と押したが釈然としないものが・・・。Ustreamに平地方創生副大臣(石破大臣時代)、築地の魚河岸・生田よしかつ、と数名のマグロ漁師。構図は一本釣りvs巻き網というみたいだった。確かに一網打尽になり乱獲になってしまう巻き網・・・。

僕は勉強し始めた。漁港や漁協など一つの自治体にはいろんな団体があるし、有名所はほぼ行った。一番感動したのは富山県氷見市、「氷見の寒ブリ」だ。

僕自身、漁師でもない。親父もUターン組で漁師でもなく、早く亡くしたので今でも針と糸も結び方は忘れた。イカ釣り漁船はイカしか釣っちゃいけないと思ってたと言ったら友達が季節で違うし、まず、エサ用のイカ、サンマなどを釣ったりなどなど。みんな凄いなと思った。

今、「夢の島」と口に出す気分でもない。
市役所、観光連盟、その他もろもろ、なにかに染まっている気がする。嗅覚はいい方だと思ってる。だから住民投票で負けた市長が数カ月後に出てきて驚いたし、当選したのには、開いた口が塞がらなかった。

これは「夢の島」とは言えない・・・。

僕らの年の同級生は仲が良かった。スナックなどには入れなかった。毎年ライブハウス的な店に入っていた。そのうち結婚で家庭をもち出にくい友達が増え、自分が企画した12月31日→1月2日も19歳から続いていると思う。僕は酒をやめてから行ってないし、今後も行かない。
ふと、昼間集まってみようか?と思った。重要な二人には電話した。喜んでくれた。僕の体の心配まで。

僕の思いを聞いてもらうかもしれないし、ただの雑談で終わるかもしれない。
僕自身が漁師の友達に忖度していたのかもしれないし。
それが最後の仕事かも知れないが、一歩動かないと始まらない。
だってみんな「勝本小学校」が好きだから(笑)